エッセイ

それでも私たちは特別なんだ

「わたしが赤ちゃん産んで大きくしたら、お母さんはおばあちゃんになって死ぬの」

4歳の娘がそんなことを言う。
唖然とするうちの奥さんの横で、僕はフライパンの焦げをせっせと落としてた。つまり夕飯は焼きすぎたポテトだったわけだけど、そんなことより何か言わなくっちゃ。例えばそう、ありがたいパパのお言葉とか。

「へえ、そお?」
と、僕は上ずった声で言った。娘が堂々と答える。

「そうよ。わたしの赤ちゃんが赤ちゃんを産んで大きくしたら、わたしは死ぬの。順番なの。交代なのよ」

娘は子ども用の短い箸を器用に使って、じゃがいものポテトを食べている。外はあきれるくらいの夕焼けで、父親であることが恥ずかしくなるくらいのピンクだった。そういう夕暮れが週に2回くらいある。

「そうかあ」

僕はそう言って、ほんの数分だけパパをやめたくなる。もちろん、娘が何でそんなことを言ったのかはさっぱりわかんない。唐突だったし、妙に真剣な表情だった。でも、なんだか納得してしまったのだ。「順番だよな」って。

「おかわりは?」

そう聞くと、娘はブンブンと首を横に振った。まだいらないらしい。
交代かあと、僕はしつこいフライパンの焦げをゴシゴシしながら思う。僕らは特別じゃないのかもしれない。交代して消えていくだけの存在なのかも。例えば、フライパンについたこの焦げのように。

「あのね」

言いかけてやめた。だって、この子は特別じゃないか。これって、どうやったら伝わるだろうかと思うけれど、きっと何を言っても伝わらないんだろうな。ひょっとしたら、娘が赤ちゃんを産んで親になったらわかるのかもしれない。その時、僕はすでに交代しちゃってるかもしれないけれど。

「おかわりは?」

聞いても、娘はまだ首を横に振っている。

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