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#ツイ哲20200810を終えて① 反省文

 対話の内容ではなく、あくまで企画自体についてですが、「まあ、失敗しかけたけれど、最終的に少し持ち直し、しかしやっぱり反省するところが大だな」というのが個人的な感想です。勿論、その成否は各参加者および視ていた方々に委ねたいと思いますが、過去の二回と比べて、序盤から中盤で議論が活性化せず、ルールの再設定などのテコ入れをしなければならなかった、という点が、最も反省すべき点だろうと思います。というわけで、参加していただいた方々に心から御礼申し上げるとともに、僭越ですが、企画の構想などに関して至らない点が多々あったことを、謝りたいと思います。
 ただ、以上はあくまで企画自体や特にそのルール設定に関わる点での「失敗」であり、対話の内容については、参加者の方々の真摯な姿勢に助けられ、有意義な対話がなされたと考えております。また、企画やルールの失敗の責は、当然、企画発案者の私にあることも申し添えておきます。
 とはいえ、当初より「失敗することもあるだろう」という失敗を織り込み済みの実験的な企画だったことも確かです。(哲学カフェ・哲学対話における失敗とは、そして成功とは何か、ということ自体が曖昧さを有しますが・・・。)
 大切なのは、なぜ議論が活性化せず失敗しかけたのかを検討し、将来に生かすことであると思います。余談ですが、上手くいかなかった場合、それを糊塗しなかったことにしようとする人が多いように思いますが、むしろ成功よりも失敗の経験こそが、自分を含めて、これから同様の試みをしようとしている人にとってのよい教材となりうるので、積極的に公開し、反省していくべきでしょう。
 まず、考えられるだけ、上手くいなかった理由を列挙しておきましょう。

①企画者・ファシリテーター(木村)の経験不足
 まずツイ哲という試み自体が三回目であり、また今回のような長期にわたる企画ははじめてということもあり、ルールの設定、ファシリテーションに反省すべき点がいくつもございました。途中でルールを再設定したというのは、当初の企画の見込みの甘さを端的に示していますし、ファシリテーターとしての振る舞いも、思い返せば、別様にしうる余地があったと反省しています(別項でも述べます)。

②企画のルールの失敗
 一日三ツイートまでという制限で十分であると想定していたのは、当初、ひとつのライン(スレッド)に各自が三回くらい発言すれば、それなりに充実した議論が成立するだろうと見込んでいたためです。ラインが複数化しないだろう(しても、そこまで深刻にはならないだろう)と考えていたのは、過去の二回で、部分的に分岐したケースはありましたが、全体の議論が分岐して進んでいくということはなかったためです。
 しかし、想定とは異なり、今回は当初より二つの分岐し、途中から三つに分岐するという展開になりました。ファシリテーターとして議論を活性化・明確化するための問いやその答えへの対応をするべきでありましたが、三つに分岐したため、ひとつのスレッドに一日一回程度しかツイートできないことになり、せっかく応答してくれてもそれにきちんと対応できないということになりました。
 また参加者の方々も、一日三回という制限がもう少し緩ければ、複数のスレッドに参加できたかもしれませんが、最初の発言者と木村以外はラインBとラインCの対話に参加しないという結果となりました。

③テーマの難易度が高い
 今回は「他者の尊重」というテーマであり、初回の「テーマ未定」から議論のうえで決めた「分断」や、第二回目の「オンラインで哲学対話は可能か」というテーマに比べて、やや抽象的になりがちなテーマであったといえます。また後述するように、以上を踏まえて、進め方に工夫をこらすべきでしたが、それを怠ったことも、失敗の理由といえるでしょう。

④進行の方法
 ③で述べたように、今回はテーマが抽象的であるので、最初は「具体例を出そう」などからはじめ、その具体例から「尊重」の本質を探るという方法などを採るべきだったかもしれません。しかし、はじめから「他者を尊重するとはどのようなことでしょうか? どうすれば、他者を尊重することに(尊重したことに)なるのでしょうか?」という問いを立てたことで、三名の方がそれぞれテーゼを立て、それを別々に検討していくという流れになってしまったといえます。


2020年8月30日にアップ

2020年9月1日に修正のうえ、再アップ

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