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『笑いの哲学』ができるまで(3) 編集者Hさんと初めてお会いして打ち合わせしたときのこと

木村覚『笑いの哲学』が刊行されました。このエッセイは、より多くの方に本書に関心を持ってもらいたく、10回くらい連続のものとして本書完成までの顛末を書き進めていくものの3回目です。

「『笑いの哲学』ができるまで(1)」で書いたように、2019年の秋に一旦中断していた原稿執筆がアメリカでの「充電」によって再開し、黙々と、平日には毎晩3-4時間を費やして、土日は一日中、改稿を続けていきました。今年の1月ごろに、それは、7割くらいの出来のものになってきていました。さて、どうしようか、前回と同じような悩みが生まれてきました。これはどのくらいの出来だろう。自分一人ではわからない、どなたか編集者にお会いして、感触を確かめたい、そう思い始めていました。

しかし、前回の失敗があるので、今回は慎重です。また、色々と厳しいこと言われるかもしれないけれど、それを参考にまたやり直せば良いじゃないか、という前向きな気持ちも生まれていました。

知り合いの紹介で、今回の編集者Hさんにお会いしたのは、2月半ばでした(思い出すと2月半ばは、日本には新型コロナウイルス感染症のシビアな状況がまだ生じていませんでした)。目白のキャンパスにお越し願って、あらわれたのは、年齢的にはずっと先輩のはずなのに、まるで「永遠のメガネ文学青年」みたいな若々しい方でした。

最初にお話ししたのは、原稿のことではなく、私がいかにお笑い大好き少年だったか、という話題でした。小学生時代に夢中で見た「お笑いスター誕生」のことや「8時だョ!全員集合」のこと、その裏番組だった「オレたちひょうきん族」のこと、などなど。ひとまわりは年齢が上のHさんは、僕が小学生で見たものを社会人の立場で見ていたはずですが、ニコニコと聞いてくださいました。あらかじめ渡していた原稿のことを恐る恐る聞いてみると、「もうほとんど9割がた完成しているのではないですか?」とのことでした。

ホッとしました。そして、その場で選書メチエでの出版というルートに乗せてもらう約束をすることになりました。

よくよく聞くと、Hさんはお笑いが以前から好きで、チャンスがあれば、このような企画を実現してみたかったと話してくださいました。それはまさに「渡りに船」でした。聞いてみると、夢路いとし喜味こいしが大好きで、漫才をテキストにした本を愛読しているとのこと。あるコンテストでダウンタウンが芸風が似ていると言われ、その的外れの評に悲嘆したというエピソードを本書に書いていましたから、その点は、大目に見てくれているのだな、と胸をなでおろしたのも覚えています。

よく言われることですが、良い編集者に出会えることは、本が生まれるためにとても重要なことです。とてもラッキーでした。

印刷所に原稿を入れる最終段階の面会で、Hさんは、オードリーもスギちゃんもご存知ないことを知りました。若干心配しないではないのですが、20代、30代のお笑い好きな編集者からその愛情ゆえに、バリバリの厳しいダメ出しを受け続けていたら、きっと心が折れていたことでしょうから、それも幸いといまは考えています。




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