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kimuny(きむにい) 普段の暮らしや仕事から気づいた大切なことを紡ぎだしていきます…

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kimuny(きむにい) 普段の暮らしや仕事から気づいた大切なことを紡ぎだしていきます。人に関わる仕事に携わり20年、日々の気づき学びを大切にしています。 対話・散歩・森・書道・マインドフルネス瞑想 キャリアコンサルティング技能士2級 キャリアコンサルタント

最近の記事

光さす花のように

気のおけない仲間と対話をしていたら、自分の知らない一面に光が当てられたような気がするとのフィードバックをもらいました。 自分の何気ない話が、相手にとっては陰に隠れていた多面体の一面を照らし出されたように感じられたのでしょう。 光のあたる自分自身のイメージは、きれいな球体ではなく、凹凸のある多面体のような気がします。それも石英のように半透明で、これまでの人生で磨かれてきた面もあれば、ざらざらとしている面、ひびが入って思い出したくない面もあるかもしれません。 光の屈折や反射に

    • 陰があるから光に気づく

      息詰まりを感じていた日々に、森のなかを歩くと、自然と息が整い心が開かれる感覚が訪れます。 身体が息をしたいと無意識のうちに森を求めるのかもしれません。 森のなかを一人で歩いたり、佇んでいたりするとき、自然と自分との対話が始まります。 普段の仕事や生活では抑えていた心身の感覚が、ゆったりほぐれて気づかないふりをしてきた感覚に気づくということかもしれません。 固定的な環境や人間関係のなかだけでは、一面的な見方しかできません。自分が動くことで見えたり感じたりするものがあるもので

      • 泥のなかから蓮は咲く

        称名寺薪能で「巴」を観てきました。 薪のかがり火のなか、風が吹き、小鳥の声や鐘の音に囲幻想的な雰囲気のなかで、身体に響く声、夢や無意識に溶け込む感覚、直接的には出てこない木曽義仲に受け止められている姿が見えた気がします。 見立て 見えないものを観る いかに見えている奥にある豊穣な世界を感じることができるか。能を演じている能楽師の方はもちろん、太鼓や笛、謡曲、能舞台、そして観客自身が参加することで、観ることができたと感じています。 生きていることは時代にかかわらず同じであ

        • 自信の見つけ方

          仕事で自信を失ったのは、コロナ禍で職場が変わった時だった。自信喪失のトンネルが早く終わらないかなと渇望していた日々を今でも思いだす。それはまるで平均台を息を止めて走り抜けるような日々であった。自分の気持ちも周りの環境も感じないように、心に撥水加工をしていたが、やがてそれもはげ落ちるのも時間の問題だった。 「できることをしなさい」 もう心身がもたなくなる崖っぷちとところで転機となったのは、妻からの一言であった。それまで、仕事でできないことにばかり目を向けていた自分に気づいた

        光さす花のように

          「自責」を「自分事」に変えるには

          ビジネスシーンで「自分事にして考えよ」とよく耳にします。一方で「私が悪かったんです」と自分を責めて、苦しんでいる方もいるかもしれません。 今回は「自分事にする」ことと「自責の念」の違いを考えてみます。 「自責」で考えよ とは?他人が悪いと「他責」で考えるより、「自責」で考えてみようと耳にすることがあります。自分に反省する点はなかったか振り返り、次に活かすよう促されているのでしょう。たしかに、他人のせいにして自分は悪くないというのでは成長には繋がらず、自分の責任として考え、反

          「自責」を「自分事」に変えるには

          メタ認知 自己認識の大切さ

          自分のおかれた状況に気づく 先日とある試験を受けました。その試験では試験官の前で「面談」を実演し、その振り返りを問われる試験でした。 面談そのものも大切ですが、振り返りの質問で、自分も含めた状況把握、自己認識できていたが問われるものでした。 自分にベクトルが向きすぎても相手を見ていないことになり、相手の話に夢中になりすぎてもアドバイスができなかったり、難しさを感じる試験でした。 面談の練習中に心がけたことは、自分も含めて面談を俯瞰的に見ることでした。 相手に飲み込ま

          メタ認知 自己認識の大切さ

          違和感に気づき、手放し、感謝に変わる

          違和感は止められない なにか違うと思うことや、この人は違うなと思うことがあります。変だな、嫌だなぁと感じる違和感は、自然に沸き起こることで、止めることは難しいですよね。むしろ止めないほうがいい。 ただし、その違和感に留まって自分のなかで嫌な気持ちを再生産しまうと、ループにはまり、幸せな気分から遠のいていきます。 今回はそんな違和感に気づいて、手放し、感謝することまでできた話です。 違和感に気づいて手放す 先日、電車のなかでエナジードリンクを飲んでいる若い男性がいました

          違和感に気づき、手放し、感謝に変わる

          「セルフハラスメント」に気づき手放す

          ふと、自分を責め続けて何時間も過ごしていることがあります。 「早くしないとダメだ」「なんで自分は他の人と比べて仕事ができないんだろう」「あの人はもっと早くスマートにできているのに自分はできないんだろう」「頭の回転が追いつかず、フリーズしてしまう自分は本当にダメだ」 他人にはハラスメントをしてはいけないと伝える立場もあり、周りの人に対してハラスメントになるような言動をしないように気にかけていますが、自分自身を責めることには、なんの躊躇いめないことに思いあたりました。 しかも自

          「セルフハラスメント」に気づき手放す

          とらわれている自分に気づく

          スマホに吸い込まれる自分 スマホやバソコンをしているうちに、画面の中に吸い込まれてしまっていたなと、後から気づくことがあります。メールやチャットの返信やSNS、仕事でバソコンにむかっているうちに画面のなかに心身ともに吸い込まれるような感覚になり、時を経つのも忘れていることがあります。 そんな時は楽しさより 「早く返信しないと!」とか「ちゃんと回答せねば」「気の効いたコメントを書かねば」など自分を急かしながら向き合っている時が多いと気づきました。時には息を止めるようにしながら

          とらわれている自分に気づく

          同じ風景を見る

          kimuny(きむにい)といいます。 このnoteでは 人との出逢いや対話から気づいた 「見えないけど大切なもの」を紡ぎだしていきます。 私は普段から人の話を聴くことを大切にしています。それはキャリアコンサルタントの面談に限らず、対話会や仕事の場でも、家族とも、はたまた偶然入った居酒屋でも同じです。 話を聴いているうちに、同じ風景が見えたと思う瞬間があります。 相手と向き合い話を聴きながら、相手が見た光景やその時の気持ち、風や温度、身体の感覚まで感じて「そんなふうに感じ

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