電車の窓から10

2020年4月28日

ずーっと歌を口ずさんでいた。落ち着いた。メロディをなぞるだけで他は何も考えなかった。歌詞の意味も、メロディの意味も。手当り次第覚えている曲を口でなぞった。夜が白んで行く。ヒナが真っ直ぐこちらに歩いてくるのか見える。
ヒナは手を挙げる。私も手を挙げる。
煙草の火はとっくのとうに消えていた。
鍵を開けてヒナを出迎える。ヒナはにこにこしていた。
「ただいま、明日休みになった」
ヒナは私に向かってピースサインを掲げる。
「はじめてお休みだね。どうする?」
「ルナの必要なもの買いに行こう」
そういうとヒナはベランダに出て、煙草を吸った。
私はコンロに火をつけて、炒め物を温めた。
私が来ないのを感じて、ヒナはくるりと振り向いた。
「もしかしてご飯作ってくれてたの?ありがとう」
灰皿に煙草を置いて私の方へ来る。
「これ、よそるのにこのお皿使って、箸はこれで……」
ヒナは手際よく準備をしていく。ご飯を炊き忘れた私に変わって、冷凍のご飯を解凍してくれる。
「はい」
うやうやしく両手を広げたヒナの前には綺麗に盛り付けられた料理たちが並んでいた。
私の料理だけが綺麗じゃなかった。
「結局ヒナに頼っちゃった」
「いいんだよ、初めはみんな下手くそだから」
ヒナもそうだったの、と聞きたくて、けれど聞けなかった。ヒナに対しての質問が次から次へと溢れてくる。どうしようもなくて、どうしようもなくて、また頭の中のメロディをなぞった。
ヒナは少しだけ目を見開くと、落ちかけの紅い口紅のまま私と同じようにメロディをなぞった。2人でハミング、私は気の向くまま、メロディをなぞった、目まぐるしく曲は変わっていったが、ヒナは全てのメロディに着いてきてくれた。
ヒナは歌いながら食事をした、不思議な光景だった。私はそんな器用な事が出来ないから、黙って食事をした。
ヒナのメロディを聴いていると、楽しい。
ヒナの後ろから陽が登って、激しく私の顔を照らした。

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