電車の窓から17

2020年5月5日

服を畳み終えて、タバコを2人、並んで吸う。
ヒナはヘビースモーカーの割に今日は吸っていない時間が長い。
「仕事してる時はいつも吸わないからね、これくらいは大丈夫だよ」
ヒナが言った。
「え、まだ聞いてないんだけど」
「うん、でも聞き出そうな顔してたし」
ヒナは煙を吐き出す。私の一番好きなヒナの顔。
「難しいよね、なんか、色々」
「うん」
「ぼーっとしてると、色んなこと考えちゃうけど、でも、この時間が私1番好きなんだよ」
「うん、私も。私も色んなこと考えちゃうけど、1番この時間が好き」
私は口から煙を吐き出した。
「苦しいけど、これも私の為に必要な壁なのかな、って。月並みな言葉だけど、そう思うのがいちばん簡単で、1番単純で分かりやすい。理屈ばかりこねくり回して、この問題がどうしてあるのか、とかどうしてこうなったのか、とか考えるより簡単。やっぱり、先人たちの知恵っていうか。何年もこの言葉が使い古されてるのもわかる気がする」
ヒナの言葉を聞いて、月を見上げる。月はまんまるで、この後欠けてしまうことが信じられない。
「月が綺麗?」
「え?ああ、うん」
ヒナはタバコを口から話して笑い始める。
「これは有名な話なんだけど、夏目漱石はアイラブユーを月が綺麗ですねって訳した。まぁ、言いたいことはわかる。好きだと直接的に言えない日本人の悪いところがよく出てる」
タバコをひと吸い。
「でもそれでも月が綺麗なんてそんな遠回しなこと、普通は言わない。兎にも角にも現代では。月が綺麗なんて、夏目漱石のこの逸話を知らなきゃ、なんの意味もない愛の言葉だ。これを言うような奴は、相手を試してる、って言う風にも捉えられると、私は思ってる」
「う、うん」
急に饒舌に話し始めるヒナ。真っ直ぐ月を見つめている。
「嫌な奴だね、月が綺麗ですね、なんて言葉で愛を伝えようとする奴は。夏目漱石以外、通じないよ」
「じゃあ、なんて言えばいいの?ヒナはなんて言うの?」
ヒナは、1度私を見たあと、もう一度月を見た。
「うーん、それが分かれば苦労しないんだよね。分からないまま、命を終えるんだろうな。人間は」
煙がヒナと私の間を埋めていく。
「まぁ、でも結局、月が綺麗とかほざくんじゃないかな」

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