電車の窓から19

2020年5月7日

ヒナが目を覚ましたのは、日付が変わってからだった。
早く起こしてくればよかったのに、とヒナが怒る。ヒナは大慌てで夕食を作りにかかる。
その後ろ姿に安心した。
包丁の音、火の音、のんびり洗濯物を畳みながら、聴く。
なんの音も無い部屋だけれど、私が静かにしていれば、ヒナの音で満たされていた。
息を吸えば、鼻孔の奥に煙の匂い。
幸せ、これを幸せと言う以外、私は言葉を知らない。

どん!、と無作法に扉が叩かれる。
「ねぇ、いるんでしょう、みゆう!」
怒鳴り声。あぁ、あぁ、何度も聞いた怒鳴り声。二度と聞きたくない怒鳴り声。
私は頭を抱えた。
「ルナ、こっち」
ヒナに手を掴まれて押し入れの中に押し込まれる。
「ここから隣の部屋に行けるから」
押し入れの中の小さな引き戸を開けると、同じ間取りの部屋がそのままそこにあった。
飛び込むと、入ってきた引き戸がピシャリと締まる。
「終わったら、こっちから呼ぶから。待ってて」
ヒナの足音が遠くなっていく。

「ここに美優いるよね」
頭を突き刺すような怒鳴り声。
「いません。みゆうさん?この部屋には私1人ですが……」
「そんな訳ないでしょ!ここにいるって分かってるのよ!」
どすどすいう足音が増える。
「部屋の中全部見せなさいよ!」
机の家具がひっくり返るような音が聞こえてくる。押し入れが開く音がして、思わず飛び退く。
しばらくガサゴソした後、全ての音が止んだ。
「本当に居ないみたいね、すみませんでした」
ぶっきらぼうな声。
「あいつ、嘘つき」
突き刺す声が、耳元で聞こえたような気がして、振り向く。いや、隣の部屋に本人はいるんだから。

しばらくすると、ヒナがトントン、と壁を叩いた。
「大丈夫、ルナ、おいで」
私は開けられた引き戸の中に潜り込んだ。

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