NewJeansと"坂道系"のツイートについて思ったこと
はじめに
もっとも、大きく間違ったことは言ってない。と思った。事実NewJeansのセールス実績に関しては文句の言いようがないほど爆発的、対して"坂道系"はじめ日本資本のアイドルグループが劣勢の状況にあるのも、音楽番組でのプライオリティだったり批評家筋の評価を見ても頷ける。現在の"坂道系"の楽曲がトレンドからかけ離れていると言わざるを得ない状況だったり、プロモーション面に関しても非常に内側に閉じたものーここで用いられている"内需"ーであることは否定できない。乱暴に言ってしまえば、音楽「を使って」ビジネスしている状況にあると言えるが、しかしそれはアートとビジネスの視覚的勾配の話、つまり音楽や中身が素晴らしければ商業性の生々しさが無化されるのかと言われると決してそうではなく、もっともミーグリの応募券だったりフォトカードなどの特典物を付属することで円盤の売り上げをブーストさせる商法に関してはK-POPだってそれはもう、かなり露骨に取り組んでいるわけで、事実タワレコやHMVをはじめとする国内のCDショップはその恩恵を受けに受けまくっている。
またこのツイートにおける"K-POPの世界的な活躍"の例としてNewJeansが、日本国内のアイドルビジネスの失敗の主犯格として"坂道系"が挙げられていることも些か乱雑ではないかと感じた。NewJeans以前にも世界進出に成功したK-POPアーティストはいくつも存在するし、現在NewJeansを取り巻く「NewJeansは全く新しいK-POPのモデルケースである」と「NewJeansはK-POPの歴史を踏襲した上で成立している」の間で分断している論争の複雑さを考慮した時に前述のような例示は非常に誤解を生みやすい。ついでに、秋元康や小室哲哉を「日本の音楽をダメにした存在」として例挙し、反対につんく♂やWACKアイドルなどの存在が過去の商業面での功罪をさておいて称揚されがちな一般論にのっとった"坂道系"批判(秋元下げ)に対して論として歪みがないとは言い切れない(ついでに言えばジャニーズ下げHYBE上げの風潮にも同じことを感じる)。あとそもそも"坂道系"のプロモーションや運営方法はAKB時代のものを踏襲したものがほとんどであり、それに代表される握手会ビジネスも秋元康が発明したものと誤解されがちだが、80年代の歌謡アイドルや演歌歌手のサイン会だったり、それこそCDビジネスが不況に陥った2000年代中盤にはモー娘や地方のアイドルがCDを売り捌くために既に仕掛けていた商法でもある。もちろん多人数所属のグループにすることで収益を増やそうという、よりわかりやすく集金的な構図を生み出したのは秋元康なのかもしれないが、ファンに対するビジネス、それこそ「会いにいける」人たちに向けた「内需」的なビジネスモデルの主犯格として"坂道系"を挙げるのは文脈として見落としている部分が大きい。自身の主張を伝える際にそこで例に挙げるのが「褒めやすい存在」と「叩きやすい存在」という記述上非常に都合の良い二項対立ーその間にある歴史事実を見落としがちーであること、例示する対象についての認識があまりに漠然としていること、論として細部の主張/提示に欠けており受け手の誤読を招きやすいものであること(リプ欄や引用RTを見るとあまりにも議論が散逸しており、各々が好き勝手主張を連ねている。実際このnoteもその一つに過ぎないだろう)、これらの点においてこのツイートがおおまかな主張としては間違っていないものの、受け手に「伝える」ための文章としては不十分であると感じた。かつての2ちゃんねるの音楽板なんかでAKBやEXILEを引き合いに出して洋楽の優位性だったりJ-POPの劣悪さを語るような風潮を想起させる。もれなくこのツイートも、現在の音楽シーンをキャッチーなものだけで判断し大雑把に分類してしまう人間が都合よく溜飲を下げるための装置になっているのだろう。
乃木坂46のグループ初期〜中期のプロダクションについて
おそらくツイート主はNewJeansのプロモーションに関しては概ね好意的な印象を持っており、日本のアイドルビジネスが劣勢であることの原因として「作品面でのアートセンスを欠いた"坂道系"が今なおメディアをジャックし、それに満足しているファンダムの慢心さ」を見たのだろう。あながち間違っていない。ただ「日本のアイドル(坂道系)が怠ってきた部分」となるとやや抽象的ではないか。例えば乃木坂46はグループ初期からAKB48のライバルグループとして、AKBグループのように固定の劇場や選抜総選挙といったイベントがないぶん、映像面をはじめとした作品のなかで様々な挑戦を図り48グループとの差別化に取り組んできた。その一環として「個人PV」という数分の映像作品をCDの特典として制作してきた。メンバーひとりにひとりにそれぞれ監督を用意し、時にはメンバーの意図に沿って制作される映像には中には目もあてられないようなクオリティのものもあるが、秀作も多い。グループ卒業後の現在、役者・モデルとして活躍する伊藤万理華は在籍時にグループの表題曲の歌唱メンバーとして選抜される機会こそ少なかったものの、この企画によって演技力を発見され、彼女の個人PVをフェイヴァリットに挙げる映像関係者は少なくない。彼女のほかにも個人PV時代に磨き上げられた/発見された才能によってグループ卒業後のセカンドキャリアで役者やモデルとして活躍するメンバーは数少なくない。またこの企画では若手の映像作家のフックアップにも積極的に取り組んでおり、初期から何本もの乃木坂46の個人PVやミュージック・ビデオの監督として抜擢されてきた柳沢翔は現在ではポカリスウェットなど多数のコマーシャル映像で活躍しているほか、『愛がなんだ』『街の上で』をはじめ日本の恋愛映画の旗手と言っても過言ではない今泉力哉をインディーズ映画時代から起用していたのも乃木坂46の個人PVである。これを内需的と言われてしまえばそこまでとしか言いようがない、そのくらい作品面でも精力的に通り組んでいたグループでもある。また、7月26日に発売される日向坂46のシングルの特典映像に収録される個人PVでは全作品に20代の映像作家を監督に迎え制作しているとのこと。こちらもAI技術を使っていたりヨーロッパ企画の役者を起用したりと、興味深い作品が多い。
2023年以降の櫻坂46
また"坂道系"の中でも、ここ最近顕著に勢いを増しているのが櫻坂46である。2020年に欅坂46から櫻坂46へと改名し、当初はそれこそ「欅坂と何が違うのか」「欅坂の曲の方が好き」と言った意見も少なくなかったが、今年リリースした『Start over!』は、ニュージャックスイングを軸にしたダンスチューンとしてかつてない歯切れの良さを提示しており、ダンスに関しても欅坂時代の反省を活かしメンバーのフィジカルの魅力を素直に発揮できるものになっているように感じる。筆者としては、2015年以降のSEKAI NO OWARIが『tree』から『ANTI-HERO』あたりにかけて取り組んできたニュージャックスイングとポップスの融合に近しいものだったり(それこそ昨年の『Habit』もその亜種)、近年のJ-POPに頻出する過圧縮気味なフロウを大人数の人間が歌うことで生まれる人為性でもって結果的に中和させていたりと、かなり耳心地が良い。決してアイドルソングの文法を理解してなくとも興味を持ちやすい楽曲であり、実際に今年のツアー会場には学校帰りの学生や10〜20代の客層も多く、俗にイメージされるような「アイドル現場」とはまた違った様相であった。歌詞に関しても今年に入ってからの櫻坂の作品に関してだけは何故か良いものが多いように感じる。
また、今週からはPERIMETRONのOSRINがアートディレクターを手がけるグループの展覧会『新せ界』が開催される。ますますグループのクリエイティブに注目が集まることを期待したい。
さいごに
今日の"坂道系"のプロダクションの内容に落胆することはファンである自分からしても少なくない。自分もK-POPの方が素直に熱量を持って接することができていることが多く、満足できるクオリティの作品が各所から次々とリリースされる現在の状況に興奮してやまない。しかし、どちらかが絶対的に正しく、絶対的に間違っているわけではない、この状況に自分自身もまた引き裂かれー困惑しながらーコンテンツと向き合っていることも確かである。二項対立から見えてくるものとどうしたって見えてこないことを分別して、議論すべきポイントを適切に照射しつつ考えること。自戒も込めてこの文章を書きました。最後に、久々に読み直してなるほどなぁと思ったインタビューを引用してこの文章を綴じることにします。
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