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一般書と研究書のニーズのちがい

一般書と研究書の性質の違い

対象の読者が専門知識を持つことを前提としない書籍を一般書と呼ぶこととしましょう。
このような書籍では、「興味を持ったひと」が「興味を持った本」を買っていくと言えるでしょう。
興味の持ち方はとても多様で、もともとその書籍やテーマに関心があって買っていくひともいれば、たまたま目に入って興味が湧くひと、装丁などの雰囲気がいいから買う(いわゆるジャケ買い)ということもあり得ます。内容のほうも多種多様で一概には述べられませんが、時事的であったり、ブーム性やエンタメ性が強いものも多くあります。

一般書は、興味の入口が多種多様ということで、できるだけ多くの人の目に触れることが販売戦略としても重要になります。多くの書店に並ぶこと、面陳(表紙を向けて陳列すること)や平積みで「見てもらう」ことが直接的な販売へのアプローチとなります。

一方、研究書は、対象読者が専門知識を持つことが前提で書かれている書籍といえるでしょう。こういった書籍は、買い手(読者)に「この本を読む必要がある」という動機が強く働き、「情報」を得るために読まれることが強いといえます。

研究書である以上は、多少のブームはあったとしても、原則として普遍的知識が書かれたものであり、個々の点にアップデートすべきことはあるにしても、質としては古びることなく、長く価値を持つ書籍であるといえるでしょう。

「情報」を得る手段としての研究書

なぜ「情報」とカッコに入れるのか。文筆家の三宅香帆氏の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社、2024年)では、「知識」と「情報」について、次のように区別をしています。

  知の質の違い
情報=知りたいこと
知識=ノイズ+知りたいこと

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆(集英社、2024年)

ここでいう「ノイズ」とは、他者の、または歴史や社会の文脈、さらにはそれらの予想していない展開を指し、「知識」とはノイズによる偶然性、すなわち読者が予想しなかった展開や情報を含むものであるとしています。そして、「情報」とは、このノイズが除去された「知識」であるといいます。「知識」の例として教養と呼ばれるような古典的知識やフィクション作品が、「情報」の例として、求めている知にのみダイレクトにアクセスできるものとしてインターネット上の情報などが挙げられています(以下、カッコを取りますが、こう定義されたものと思って読んでください)。

さらに、この知の質の違いを発展させて、現代人の本の読み方の違いについて以下のような区分ができると述べています。ここでいう「読書」「情報」は、上での定義とはすこし代わり、本の読み方自体の区別として用いられています。「読書(を楽しむ読み方)」「情報(を得るための読み方)」と言い換えても良いでしょう。ここでは「情報」的な読み方は、近年はやりの速読法や仕事で役立つ読書法といった読み方が例に挙げられています。

  本の読み方の違い
①読書―ノイズ込みの知を得る
②情報―ノイズ抜きの知を得る

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆(集英社、2024年)


この区別は、一般書と研究書の性質の違いを考える上でも重要な示唆を与えてくれます。
すなわち、研究書にある内容は「情報」であり、研究書を読むということは、「情報」を得るために行われるということができそうです。

一般書=「読書」を楽しむために読む
研究書=「情報」を得るために読む

そうだとすれば、ものごとの原因を調べるときには古いウェブページの情報にも有用であればアクセスするように、「情報」を得る手段である研究書も、いつでも、だれでも、どんな理由であれ知る必要に迫られたときにはアクセスできるよう、長く入手の環境を整えておくことが重要であるとご理解いただけるのではないでしょうか。

いつでもアクセスできるという社会還元

私たちは、こういった一般書と研究書の性質の違いを考え、実売部数を上げていくような一般書の売り方ではなく、在庫リスクを排除して長く売り続けられる方法としてPOD出版を利用できると考えました。

POD-ACADEMICは、必ずしも研究者のみが読むほどの専門的な本だけを対象としているサービスではありません。しかし、長く売られることに意味がある、学術的に価値がある書籍を対象としています。

話の展開上、最初に一般書と研究書を分けましたが、本来、必要が出てくれば誰でも何でも読まれるのが書籍というものです。そして、どのような読者であっても、そうした必要に迫られた時に、いつでも情報にアクセスできるようにしておくということが、「書籍の刊行」が「研究にとって社会還元の方法である」ということだと考えているということです。

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