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2022年の年末に読んだ本と、その前に読んでおいてよかった本

「年末年始に読んだ本」の記事を年始休暇ギリギリに公開しても、読んでもらえる時間を取れないので、少し早めにnoteを書いてみます。

年末に読んだ本と、今回の読書に関連しそうな過去の読書を簡単にまとめました。

年末に読んだ本

多様性の科学

周りで読む人が増えてきたので読みました。

より良いアイデアを見つけたり発見をするには、狭い世界の優秀さに固執せず、多様性のあるメンバーを受け入れ、異なる意見を認めることが効果的だと書かれています。

これを実践するプロセスを想像してみると、非常に難しいものだと感じました。

自分と異なる意見でも受け入れられる仕組み、多様性に耐えてでも実現したい組織の目標や方針、自分自身の意見が今まで以上に受け入れられないことへの覚悟が必要となりそうです。特に上位職者ほど、大きな変化を求められるため、実現に抵抗を感じてしまいそうです。

また、「この本の内容意外を認めない」という行為自体も、多様性の排除につながりかねないことも、実践が難しい点でしょう。

だれもが「自分の思いどおりにはできない」環境を受け入れることで、組織全体でより良い状態を目指す。これが実現できることは、簡単ではないからこそ、真似されにくい組織づくりにもつながるのだと思います。

その状態に近づくには、コツコツと全員を説得していくよりも、ツールやテクノロジーを使うことの方が、意外と近道になるのかもしれません。

しかしこれも考えてみれば矛盾している。人間の胃は小さいため、長時間の狩猟に必要な大量の水分をとり込むには適していない。それなのに汗はどんどんかく。つまり入る量と出ていく量が釣り合わない。実はこの謎にも、あるテクノロジーが関わっている。人類の祖先は、ある時点で、ヒョウタンやダチョウの卵やその他の動物の皮を「水筒」にして水を携帯する方法を発見した。それが集団で共有され、やがて文化として定着すると、体内に大量の水を貯め込む必要はなくなった。火を使った調理によって消化作業を体外で行うようになったのと同様に、水筒の発明によって水分も体外で保存(携帯)するようになり、人類のさらなる進化がもたらされた。 ここでも因果関係の向きに注意してほしい。人類が長時間の持久力を得たのは、水を携帯するというテクノロジーが先に生まれたからだ。ヘンリックは言う。「複雑で特殊な、発汗による人類の体温調節機能は、(水源を見つけたあと)水筒に水を入れて携帯するという発見があって初めて進化した」

「多様性の科学」より


知ってるつもり 無知の科学

私達は、実際以上に自分は物事に詳しいと思ってしまうそうです。自分たちの所属するコミュニティにある知識=自分の知識だと勘違いしやすい。そう考えると、SNSは「知ったかぶり量産器」なのかもしれません。

知ったかぶりは知識不足の弊害をもたらしますが、手軽に外部の知識や道具を活用できる(と思い込めること)は便利もあり、コラボレーションの誘発や自信にもつながります。

錯覚は知性の驚くべき性質から生じるものであることも示してきた。知識の錯覚は、知識のコミュニティで生きている結果である。それは自分の頭に入っている知識と、他の人々の頭に入っているものとを区別できないために生じる。認知的な意味では、全員が一つのチームであるがゆえに、知識の錯覚は起きるのだ。錯覚を抱かなければチームプレーヤーになれないわけではないが、錯覚を抱いているのはチームプレーヤーである証だ。
知識の錯覚の中で生きている人々は、自分の知識に過大な自信を抱いている。それにはメリットもある。たとえば、それは新たな扉を開く。大胆な主張をし、大胆な行動を起こす強さを与えてくれる。

「知ってるつもり 無知の科学」より

「自分が自分の思っている以上に無知である」ことは仕方ないことだからこそ、自分や周囲の人達の知識や能力を把握し、連携ができるようになるべきだと主張します。

私たちが個人として知っていることは少ない。それはしかたのないことだ。世の中には知るべきことがあまりに多すぎる。多少の事実や理論を学んだり、能力を身につけることはもちろんできる。だがそれに加えて、他の人々の知識や能力を活用する方法も身につけなければならない。実は、それが成功のカギなのだ。なぜなら私たちが使える知識や能力の大部分は、他の人々のなかにあるからだ。 知識のコミュニティにおいて、個人はジグソーパズルの一片のようなものだ。自分がどこにはまるかを理解するには、自分が何を知っているかだけでなく、自分は知らなくて他の人々が知っていることは何かを理解する必要がある。

「知ってるつもり 無知の科学」より

その他、「人は個人を英雄にまつりあげたくなりがち」、「知識が足りない相手に説得しようとしても効果は薄い」「物事の因果を説明すると人は主張を変えることができる」など、様々な集団の中にいる個人の認知特性を紹介しています。

それに加えて、たいていの人は物事の細部を理解しようとしない。大多数が説明嫌いだ。人生では、よく理解できないことに向き合わなければならない場面がたくさんある。ときには自分の理解が足りないことにすら気づかない。そしてたとえ気づいたとしても、興味がない、あるいは恥ずかしいからといった理由で助けを求めないことが多い。

「知ってるつもり 無知の科学」より

「多様性の科学」の前提となる背景とも、実践の手引とも言える本だと感じました。


THE FORMAT

出自や背景が異なる人でも、うまくコミュニケーションや連携をするために、共通のフォーマットを利用することは一つの有効な手段だと思います。

たとえば、様々な背景/部署間で「施策の振り返り」をするときには、共通のフォーマットを用意できれば、より議論をうまく進めたり、共通の認識を作りやすいと感じます。

いまは、テキストは誤解を生みやすいものですが、テキストのコミュニケーションから逃げることも難しい時代です。

この本に書かれているような具体的なフォーマットを、チームで共有できるだけでも、コミュニケーションを円滑にできそうです。

外食を救うのは誰か

飲食業の理解を深めたかったのと、社内で副社長が勧めていたので、読みました。

最近の外食産業の状況はもちろん、外食産業の歴史や変遷がとても勉強になりました。

先行したのはすかいらーくだった。中華料理の「バーミヤン」、コーヒーショップの要素を強めた「ジョナサン」などを生み出す。総合力を売りにしたファミレスからの業態の分化を先取りした。その他の外食企業も「和食さと」や「レッドロブスター」といった専門性を高めた業態に進出。喫茶市場では、「ドトールコーヒーショップ」の1号店が80年に開業。喫茶のカジュアル化のきっかけとなった。

「外食を救うのは誰か」より

ガストやマクドナルドがなぜ活気的だったかを、背景やビジネスモデルの変化とともに理解できると、今どのような業態が苦心しているのか、また逆に流行っているのかを把握しやすくなります。

─ファストフードなど生産性を上げやすい特定の業種は低価格路線でもいいのかもしれませんが、テーブルサービスはコスト削減に限度があるという話がありました。やはり、価格を上げる必要があるということだと思います。 値段を上げるには今まで通りでは駄目です。 専門店化は一つの方法ではあります。今は単品勝負の焼き肉とラーメンが伸びていますが、それ以外はうまくいっていない。やはり、総合メニューには将来がないのではないか、というのを僕は気にしています。 高倉町珈琲の社内では、「カフェと名乗っているのに、ファミレスっぽくなっているじゃないか」と言っています。よそにあるものを売ると、価格と味の勝負になります。そう簡単にまねされないアイデアは、開発力、発想力が大事になってきますね

「外食を救うのは誰か」より

この本を読んでからは、飲食チェーンを訪問したときに「なるほど」と感じることが増えました。

職場学習の心理学: 知識の獲得から役割の開拓へ

職場の学習に関しては、話題になる書籍や記事はチラ見しつつも、できるだけ研究者の本や論文に触れる機会も常に持つようにしています。

本書は、幅広く研究知見をオムニバス形式で紹介しているものなので、筆者による各章紹介パートの前半を転記しておきます。

本書における各章の内容
1 章では,新人の組織への参入を契機として始まる組織社会化とリアリティ・ショック,そこに影響し,また影響される心理的側面を解説します。さらに,学びとしての組織社会化を促進する周囲の人々の役割を紹介します。大学生の人にとっては,知っておくと社会人への備えができる内容です。
2 章では,発達としての熟達化を考えます。どのような段階をふむか,いつどのような停滞があり得るかを,学習の問題と関係づけて解説します。現代では,組織においても学習開発を目指すようになっていますから,ある段階に満足して留まることのリスクについても紹介します。
3 章では,実践知が獲得される状況,暗黙知の種類,それらを解明する認知心理学的手法を解説します。例として,高い業績を示す営業担当者と平均的な営業担当者の差がどこに現れるかを示しますが,それらの手法はさまざまなナレッジワーカーの実践知を解明する手法として利用できます。営業には興味がない読者も手法に着目してみると,その有用性が理解できます。
4 章では,日々の経験から“学び”のために必要な知的活動を,経験学習論に従って解説します。経験から学ぶためには,日々の実践経験を省察して知識や教訓を見出し,それらを実践の中で意識的に実験してみる必要があります。さらに人の経験学習と組織の学習がどのように異なるかを組織学習論に従って解説します。両者を理解すれば,組織に適応する学びと変革を引き起こす学びの違い,また個人と組織の学習が状況的にぶつかり合う接面で発生する問題やジレンマを知ることができます。
5 章では,まず心理学における伝統的学習観を紹介します。その学習観とは異なり,組織の中で役割を持つ成員として実践に参加すること,その参加形態と役割の変化こそが学びであり,学びの軌跡であることを説明します。そして組織の中に埋め込まれた学びの仕組みを紹介します。
6 章では,集団で仕事を進めるときに発生しがちな心理特性を解説します。さらに,集団とチームの違い,そしてリーダーシップとマネジメントの違いを説明します。また,プレーヤーからマネジャーになるときの問題や葛藤についても述べます。
(以下略)

あとがきたちよみ『職場学習の心理学』より

普段触れているトピックとの重なりが多いので、手元に置いておいて、他の書籍と見比べながら使うのが良さそうです。

トップセールスだけに頼らない組織を作る 実践セールス・イネーブルメント

去年から、営業部門と協働する機会や情報を提供することが増えたので、より営業メンバーに活用されやすい加工をしたり、もっと育成に使えるような取り組みを考えるために読みました。

特に、営業フェーズを意識して、コンテンツ化する考え方は、実践的に感じました。

営業のナレッジ整備方法


それまでに読んでいてよかった本

今回紹介した本と関連しそうな書籍を紹介します。これらは、先に読んでいてよかったと思った本です。

事実はなぜ人の意見を変えられないのか

今回紹介した多くの本は、調査や研究を元にしたものが多いのですが、これらを「こんなファクトが出ています!」と突きつけても、効果は期待できそうにありません。

「ファクトが大事だ」と言い張り、常に数字を携えて説得してくる人に対し、こちらの主張に合う事実を提示したら、軽視されたり穴探しをされたことはないでしょうか。

このように、お互いがファクトを使っているにも関わらず、どちらも影響力を発揮できていない(よくある)状況が生まれる背景や、それを解決するアプローチの例が複数書かれています。

事実よりも影響力のあるものとして、類似書籍でよく見る「感情」や「インセンティブ」のほか、「事前の信念」が真っ先に挙げられているのはユニークな点だと感じました。

タイトルの邦訳が、とても影響力を感じるところも好きなポイントです。実は、原著のタイトルには「事実」という単語は入っておらず、影響力やそのメカニズムについて幅広く紹介されています。

ザ・フォーミュラ

逆に、全く邦訳が機能してなさそうな本ではありますが(笑)、中身はとても参考になります。

こちらもオムニバス形式で、いくつかの研究知見を紹介しています。

このnoteで紹介してきた本では、「想定よりうまく行かないこと」が多く書かれていますが、この本では「想定(実際)よりも高く評価される(成功する)こと」が複数書かれているのが面白くユニークな点です。

バラバシによれば、たとえノーベル賞が与えられる研究プロジェクトに貢献したとしても、無事ノーベル賞に名前がリストされた者は高名な研究者として名を成し、リストされていない者は研究を継続できず、行方不明になる場合もあるという。

この違いを「世の中は実に理不尽」「結局は運」という話で終わらせることもできるが、バラバシはそうではなかった。彼は、スポーツ、アート、書籍、学術研究など、「成功」に関わる膨大なデータから、その違いを見事に明らかにしたのだ。

(中略)

「すごいことを成し遂げると成功がついてくる」という単純な図式は、あくまで「パフォーマンス(成果)が測定できる世界」でしか成立しない。一方、「パフォーマンスが測定できない世界」では、先に説明した「ネットワーク」が成功と分かちがたく結びついている。このふたつの世界についてぼくたちが整理した図をもとにもう少し詳しく説明したい。

WIRED「ネットワーク科学のイノヴェイターがたどり着いた「成功の法則」:アルバート=ラズロ・バラバシに訊く」より


同書は、この年末年始に読んだ書籍を理解する補助線にもなりそうです。

あなたが成功するために重要なのは、あなたとあなたのパフォーマンスではない。重要なのは社会であり、社会があなたのパフォーマンスをどう捉えるかである。簡単に言えば、あなたが成功するうえで重要なのはあなたではなく、社会なのだ。

またこの本では、一見残酷にも見える知見も多く書かれていますが、個々の評価に一喜一憂せずに、粘り強く実践に移すための指針として有用だと思っています。

私たちの測定によれば、論文は研究者にとって宝くじのようなものである。画期的な論文になる可能性は、どの論文もまったく同じである。そこで、その研究者が立て続けに論文を発表するあいだは、大きな成功を摑みやすい。

(中略)

というわけで、改めてデータを分析した結果、次のようなことが判明した。まだ経験の浅い研究者が画期的な論文を発表するのは、若さと創造力のためではなく、全体的に生産性が高いからである。注目度が低かろうが失敗しようが、若い研究者は何度でも挑戦する。だからこそ、物理学者は30代で画期的な論文を発表し、画家は20代で傑作を描き上げ、作曲家や映画監督やイノベーターやファッションデザイナーは、若くして一流の仲間入りをする。

「ザ・フォーミュラ」より


今回紹介した多くの著書では、従来のやり方・考え方からの大きな転換を求めるものが多いので、「ザ・フォーミュラ」で語られるように「いつ流れが変わるかは分からないが、生産し続けないと変りようがない」というスタンスで、「事実はなぜ人の意見を変えられないのか-」に書かれている通り関係者の「事前の信念」を見つめながら、実践に取り組むのが良さそうです。


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