木元哉多ゼミ〜推理作家の思考 第42回 映画講座 『わたしは、ダニエル・ブレイク』①

    同じく貧困をテーマにしたものとして、イギリス映画の『わたしは、ダニエル・ブレイク』を取りあげます。
    この映画もバックグラウンドは格差社会なのですが、どちらかというとイギリスの福祉制度の欠陥に力点が置かれています。

    主人公は59歳のダニエル・ブレイク。
    ニューカッスル在住で、妻に先立たれ、一人で暮らしています。
    大工ですが、心臓の病気で医者から働くのをやめるように言われる。生活は普通にできるのですが、心臓に時限爆弾を抱えていて、ストレスがかかると危険な状態におちいります。
    貯金もなく、収入もなくなり、彼は役所に行って支援手当て(生活保護)の申請をします。
『半地下の家族』『万引き家族』と異なるのは、彼には家族がいないことです。子供もいない。孤立した老人です。
    韓国や日本だと、貧乏だけど家族で助けあっているという構図に自然になります。でもイギリスだと、そういう感じでもない。
「家族」といってもアジア的にべったりしたものではなく、まず「個人」があり、その集合体がファミリーだったり、フレンドだったり、コミュニティーだったりするのだと思う。
    ともかく、ダニエルは役所に申請に行きます。ですが、執拗に質問され、山ほど申請書を書かされ、揚げ足を取られるように審査されたあげく、なんだかんだで却下されてしまい、公的支援を受けられない。
    貯金もなく、収入もなく、公的支援も受けられないなら、もう自殺するか、犯罪者になるしかないのですが、本当にそういう状況に追い込まれます。

    こういった福祉制度の欠陥は、多かれ少なかれどの国にもあるものです。
    というのも、どんな役所にも必ず予算に上限があるからです。
    たとえば生活保護の予算が月に一億円あったとします。一人に月十万円を支給するとしたら、千人にしか支給できない計算です。
    そこに千百人の申請が来たら、たとえ生活保護の要件は満たすとしても、比較的マシな百人は弾かないといけない。
    予算が足りないなら、公共事業をやめるとかして、どこかから予算を持ってこなければならないのですが、そうなると完全に政治案件です。そんな面倒なことはしない。
    公務員の仕事は、予算の範囲内で完結することです。予算が余ったら使い切る。足りなかったらどこかでコストカットする。
    そこに人情はありません。それがいわゆる役所仕事です。
    ダニエルは、生活保護の要件を満たすはずですが、ここでは比較的マシな部類に入れられて、却下されてしまいます。つまりコストカットの対象となる。
    というのも、心臓に病気はあるのですが、手足に麻痺はなく、脳に障害もない。
    もしそうなっていたら、さすがに働けないので生活保護が下ります。でも現状、彼はそこまでではありません。
    働けないことはないけど、高い確率で心臓発作が起きて、ぽっくりいくという状態です。それについては医者のお墨付きです。
    ダニエルが役所で受ける質問は、次のようなものです。

「誰の介助もなしに50メートル以上、歩けますか?」
「帽子をかぶるくらい腕を上げられますか?」
「簡単な事柄を人に伝えられないことは?」
「急に我慢できなくなって大便を漏らしたことは?」

    これが公的支援の条件になるとしたら、よっぽどひどい状態にならなければ認定されないことになってしまいます。
    もう一つ言うと、生活保護の申請には詐欺も多い。
    日本でも、暴力団員がホームレスに声をかけて生活保護を申請させ、支給された金を奪うというような事件が起きています。
    さらにいえば、嘘をついて(偽の診断書をもらって)働けないことにして生活保護をもらい、その金で毎日パチンコしているというようなケースもあります。
    そういうのを弾くために、審査のチェックリストが増える。
「本当に働けないか?」の審査基準が厳しくなればなるほど、「働けないこともない」ダニエルは弾かれる対象になってしまう。
    もしダニエルに政治家の知り合いでもいれば、審査はすんなり通るのでしょう。森友・加計問題と構造的には同じです。

    ダニエルに家族はいないのですが、知り合いのコミュニティーは少しあります。その一つが、隣人のミリオン・マックスです。
    マックスは黒人で、たぶん移民二世です。
    荷下ろしの仕事をしていたのですが、一時間で3ポンド79ペンスしかもらえない。時給600円にも満たない。
    イギリスの最低賃金はよく分かりませんが、移民だから労働法があてはまらないのか、そもそも正当な仕事ではないのかもしれません。いわゆる闇バイトです。
    そんな仕事はやっていられなくなり、彼は犯罪に手を染めます。
    ここで中国が出てくる。中国の工場で製造した偽ブランド品を輸入して、彼はイギリスで売ろうとしています。
    もし中国人がイギリスに持ってきて売ったら、摘発されたとき国際問題になりかねません。なので中国マフィアは、現地の移民を使う。無知で貧しい移民に声をかけて、彼らに売らせます。この構図は、振り込め詐欺における暴力団と受け子の関係に似ています。
    つまりマックスは、自分でも知らず知らずのうちに中国マフィアの手先になって、密売の手助けをしていることになります。
    マックスがテレビ電話で中国人の若い男とやりとりするシーンがあります。
    この中国人がとても怪しい。
    一見、いい人そうで、サッカーの話で盛りあがったりします。ですが、彼はたぶんマフィアの中間管理職みたいな立場です。イギリス現地で移民を勧誘して、偽ブランド品を売らせるという、闇ビジネスを取りしきっている人間(あるいはその手下)だと思う。
    サッカーが好きというのも怪しい。
    サッカーの話題を振れば、イギリス人は気を許して、自分を信用すると思ってやっている気がする。身なりが貧しいのも、マックスに仲間意識を持たせるためです。
    つまりこの中国人は、人をだますとき、心理学を応用しています。頭のいい中国人が、現地の移民を取り込んで、犯罪を手伝わせるという構図です。
    マックスは、自分が中国とネットワークを作ってそういうことをやっているんだと吹聴するのですが、彼にそんな知恵があるとは思えない。絵を描いているのは中国人で、マックスには適当な説明をしているのでしょう。
    もし摘発されたら、この中国人はすっと姿を消すはずです。中国にいれば逮捕もされない。マックスは利用されて中国マフィアを儲けさせたあげく、自分は刑務所行きで、なにもかも失います。いずれそうなる。
    でもマックスはこの仕事を「俺たちの未来」だと言います。時給3ポンド79ペンスよりは儲かるからです。
    では、また次回。

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