木元哉多ゼミ〜推理作家の思考 第33回 映画講座 『パラサイト 半地下の家族』④

    物語の最後。貧乏・父のギテクが、金持ち・父のドンイクを殺します。しかも一見、脈絡のないタイミングで。
    なぜなのか。

    本来、隔絶されていなければならなかった二つの階層が交わってしまうことが、この物語の起点になっています。
    金持ちは金持ちのサークル内で生き、貧乏人は貧乏人のサークル内で生きる。両者は交わらないことで、争いを回避しています。
    しかしギテクは、金持ちのサークルに入って、その生活を内側から見てしまう。
    金持ちはとても金のかかる生活をしています。防犯にも健康にも金をかける。高価な服を着て、外車にも乗る。犬を三匹も飼う。運転手に家政婦に家庭教師まで雇っている。
    ギテクが、金持ち・母のヨンギョの買い物に付き合わされるシーンがあります。
    高級スーパーで、ヨンギョはろくに値段も見ずに、商品をどんどん買い物カゴに入れていく。その値段は、ギテクからするとひっくり返るような金額です。
    なぜ金持ちはこんなに金を持っているのか。

    それだけの金を稼ぐには、貧乏人から搾取しなければならない。
    この映画は、タイトルにもあるように、貧が富に対してパラサイトするという話なのですが、裏を返せば、もともと富が貧に対して搾取しているともいえます。
    つまりパラサイトと搾取は、同じコインの表と裏にすぎない。
    ここには不合理なほどの経済格差があります。
    富裕層からもっと税金を取って、貧困層に分ければいい。同じ社内でも、なるべく賃金格差を少なくすればいい。そうすれば貧富の格差は縮小します。
    でもそうすると、金持ちは金持ちの暮らしができなくなる。だからそんなことさせない。させないために政治家ともつるむし、メディアを支配して情報操作もおこなう。
    だけど貧乏人からの復讐は怖いから、両者の生活圏を隔絶する。金持ちは金持ちのサークルを作り、まさに「境界線」を作って、貧乏人がこっちに入ってこられないようにする。貧乏人を貧乏人のサークルに(つまり地下ないし半地下に)力ずくで押し込む。
    ギテクはそういう実態を、金持ち家族の内部に入ることで目の当たりにします。百聞は一見にしかずで、新聞を読んでも分からない韓国社会の仕組みを、ここで初めて知る。
    そうか、自分が貧しかったのは、半地下での暮らしに押し込められているのは、こいつらのせいだったのか、と。
    このギテクの感情が正当なものか、それとも逆恨みかは知りません。
    ともかく彼はそう思う。でも、彼はそんなに教育水準が高くないので、はっきりと言語化はできない。この時点では、まだ未分化な感情として出てくるだけです。
    そしてギテクは金持ちと接するなかで、金持ちが自分たちのような貧乏人をどう見ているのかを知ってしまう。見下しているし、「くさい」と思っている。
    この「匂い」の差別は、人種差別における「肌の色」と同じです。同じ韓国人なのに、富める者と貧しい者が分断していて、人種差別に近いものになっています。
    さらに言えば、金持ちは貧乏人のことを何も知らない。自分たちが地上で豊かな暮らしをしているとき、半地下や地下で、多くの人が苦しんでいることを知らない。
    豪雨によってギテクたちが住んでいる貧困街が水害にあって、みんな避難しているとき、金持ちたちがパーティーをはじめることからもそれが分かります。
    両者はわりと近い地域に住んでいます。しかし金持ちの屋敷は高台にあり、水害にあいにくい。それに対して貧乏人の家、特に半地下の部屋なんかはすぐに水没してしまう。
    金持ち夫婦のドンイクとヨンギョは、近い場所で災害にあって避難している人がいるのに、まったく関心がありません。そんなことぜんぜん関係なしに、息子の誕生日パーティーをはじめます。金持ちは、貧乏人の暮らしなんか知ったこっちゃない。自分たちの屋敷の地下で人が住んでいることさえ知らない。
    同じ韓国人なのに、痛みを分け合うという感覚をいっさい持ちあわせていない。
    ここらへんは日本人からすると、ちょっと信じがたいくらいの感覚です。このことが映画のなかでくりかえし出てきます。

    さらにギテクがドンイクを殺す直前に、こういうやり取りがあります。
    金持ちの豪邸で、息子の誕生日パーティーをする。そこでドンイクはギテクに、インディアンの格好をして出ていって、息子に倒される芝居をやろうと提案します。
    ギテクは気乗りしません。
    ドンイクの車を運転するのはいい。運転手として雇われているわけだから。でも、息子の誕生日パーティーで道化役をやるのは、話がちがう。
    そのパーティーに集まっているのは、みんな金持ちです。そこにインディアン(アメリカで差別される側の人間であることが象徴的です)の格好をして出ていって、笑われる。
    もしギテクが金持ちなら、どうってことないでしょう。しかし彼は貧乏人であり、半地下の人間です。金持ちたちの笑いものになるのが、不愉快で仕方ない。
    ギテクは今、金持ちが貧乏人に対して向ける差別的な視線に、とても敏感になっているところです。自分の体臭(半地下の匂い)もずっと気にしています。だからこそ、特にそう感じる。
    そのギテクの不満げな顔を見たドンイクが、こう言います。

「今日は手当てが出ますよね。だったら仕事の延長だと考えてください。ねっ」

    金を払っているのだから、言われた通りにやれよ、と。金持ちの傲慢さを感じさせる、いやな言い方で言われる。
    ここで要求されていることは、売春婦になれ、というのと同じです。
    売春婦に対して、金を払っておまえの一時間を買ったんだから、少なくともこの一時間は俺の言いなりになれ、と言っているのと同じことだからです。
    もしギテクがその要求に従ったら、金はもらえますが、人としての尊厳を失います。しかし要求をはねつけたら、仕事を失う。ドンイクがいともたやすく運転手や家政婦を解雇するのを、彼はそのまえに見ています。
    そこでギテクは金持ちの本音を知ります。
    金持ちにとって貧乏人は、いわば売春婦にすぎないのだと。
    その瞬間、彼が「半地下」の人間として、これまでの人生で受けてきた屈辱や悔しさが一気に噴きだす。
    では、また次回。

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