木元哉多ゼミ〜推理作家の思考 第19回 映画講座 『母と暮せば』①

    まずは、映画『母と暮せば』のあらすじをざっと。
    物語の舞台は、戦後まもない長崎です。ある一軒家に、伸子という母親(吉永小百合)が一人で暮らしています。
    彼女の夫は病死。二人の息子のうち、長男は出征して戦死、次男の浩二(二宮和也)は原爆で死にました。
    つまり家族で一人、生き残ってしまった。彼女は助産婦の仕事をしていて、なんとか食べてはいけます。でも、寿命はあとわずか。
    一人で暮らしている伸子のもとに、二人の人間がよく訪ねてきます。
    一人は浩二の婚約者だった町子(黒木華)。彼女は学校の先生をしています。夫になるはずだった浩二との約束を守って、一生独身を貫くつもりでいます。
    もう一人は上海のおじさん(加藤健一)。怪しげな商売をしている人です。当時は違法だったはずですが、進駐軍から物資を横流ししてもらって、闇市で売りさばくみたいなことをしています。
    ただ、明るくて活動的な男で、敗戦でみんなが下を向くなか、元気に商売に励んでいます。気前がよくて、石鹸や缶詰などを伸子のところに持ってきてくれる。
    彼は伸子に好意を寄せているのですが、恋愛ごとにはシャイなので、なかなか言いだせずにいます(ここらへんもふくめて、『男はつらいよ』の寅次郎を連想させるキャラクターです)。

    これは伸子の寿命が尽きるまでの物語です。
    言いかえれば、伸子がこの世に何もやり残したことがない状態になって死ねば、大団円になります。
    作り手側から見た場合、この物語が大団円をむかえるためには、少なくとも三つのハードルを越えなければなりません。
    第一に、息子の婚約者だった町子に、人生の再出発をさせること。
    町子は、死んだ息子のために独身を貫こうとしています。自分を本当の母のように慕って、頻繁に家を訪ねてきてくれる。伸子も自分の娘みたいに思っています。
    でも、だからこそ町子にはもっと自由になってほしい。
    戦争も終わったのだし、これからは女性が自分の意志で人生を選択していく時代になる。町子はまだ若い。もし好きな男性が現れたら、自分に義理立てする必要はないから、死んだ息子のことは忘れて、その人と結婚してほしい。人生の再スタートを切ってほしい。息子のことを理由にして、人生の可能性を狭めてほしくない。
    だから町子に、もうここに来なくてもいいのだと伝えたいのだけど、なかなか言いだせずにいます。
    第二に、上海のおじさんにNOと伝えること。
    彼が自分に好意を持っていて、いろんな物資を持ってきてくれるのはありがたい。なにより彼が来ると、場が明るくなる。気の滅入ることが多い時代に、彼のような男が身近にいると、頼もしくもある。
    でも、彼と結婚することは考えられない。彼の好意に対して、自分はその気持ちに応えられないのだとはっきり伝えるのが誠意だとは思うけど、やはり言いだせずにいます。
    そして第三に、あの戦争は、そして原爆はいったいなんだったのか。それを伸子にしっかり語らせること。
    これが映画であり、この時代の長崎を舞台とする以上、必ずどこかで主人公に、戦争とはなにかについて、彼女なりの考えや思いを語らせなければならない。
    軽々しく扱っていいテーマじゃない。映画全体として強いメッセージを発せられないなら、そもそも映画の題材として扱ってはいけない。
    この三つを物語のなかでしっかりクリアして、伸子は死ぬ。でなければ、映画は大団円をむかえられない。

    伸子は家族に死なれて、たった一人で暮らしています。
    自分の死がそれほど遠くないことは、なんとなく察しています。町子と上海のおじさんに、伝えるべきことを伝えたいと思うのだけど、その勇気が出ない。そこに幽霊となった次男の浩二が現れます。
    こういう役のことを「ナイト(騎士)」と僕は呼んでいます。
    主人公を助ける役です。以前、話した『崖の上のポニョ』のポニョ、『となりのトトロ』のトトロなどがそれです。『白雪姫』に出てくる七人の小人もそうだし、源義経にとっての弁慶もそうです。
    もちろんドラえもんもそう。
    主人公に寄り添い、精神的な安らぎを与える存在です。ときに知恵を貸し、ときに身を挺して主人公を守る。
    ただし浩二は幽霊なので、母を具体的に助けることはできません。母と話をすることしかできない。
    そして物語は、この二人の会話によって進行していきます。

    伸子は頭のいい女性です。この時代の女性にしては自立しているし、先進的な感覚も持っています。戦時下を生き抜いているので、肝も据わっている。不満、愚痴、悪口、批判、恨みごとはいっさい口にしない。
    戦争で二人の息子を亡くし、悲しくないわけがないのですが、彼女は泣くこともしないし、やつあたりもしない。口を閉ざして、じっと耐えています。
    ただ、幽霊となって現れた浩二と会話するときだけは、本音がこぼれます。
    次男の浩二は甘えん坊で、お母さんっ子。母の前で駄々をこねたり、ぐずったりする。この浩二をあやしたり、諭したりしているうちに、ぽろっと本音が出ます。
    それによって伸子自身が自分の本当の気持ちに気づいていく。
    戦争に対する怒り、失ったもののあまりの大きさ、一人だけ取り残された寂しさ、町子や上海のおじさんへの感謝。そういった感情が吐きだされることによって、気持ちが楽になっていき、次の行動に移るための心の準備が整っていく。
    浩二が、伸子の本音を引きだす役割を自然に果たしています。そのために幽霊となって地上に降りてきたともいえます。

    全体として、吉永小百合の演技がとてもいい。
    二宮和也との会話のやりとりが自然で、感情の流れが見えやすい。伸子の心が、浩二との会話でかき乱され、しかし結果として雨降って地固まる式に心の準備ができあがっていく。
    浩二は、地を固めるために雨を降らせたのだという役割がはっきりしています。でも、手は貸さない。きっかけを与えるだけ。伸子はあくまでも自分の意志で、町子、そして上海のおじさんとの関係にけじめをつけなければならない。
    それを果たしたあとで、浩二に付き添われて、天国へと旅立つ。
    この流れがいい。脚本、演出、演技、すべてが上から下へ流れる水のごとく、ひっかかるところがありません。
    吉永小百合は、読解力が高いのだと思う。物語の文脈をとらえた演技をするので、見る側を自然に物語の世界に引きずり込んでいく。歴史的な背景を踏まえたうえで、その時代の長崎に生きた伸子という、幸福とは言いがたい女性の、死に際の心の推移を丁寧にすくいあげている。
    ただ泣いたり笑ったりするだけの、マネキンのような演技をする役者では、こうはいかない。
    そのシーンが全体のなかでどのように位置づけられているかを理解しないで、与えられたセリフになんとなく感情をつけてしゃべっているだけなので、ワンシーンごとに切断された演技になってしまう。
    この映画のようになめらかに流れていかない。そのため観る側の集中力もそのつど途切れてしまう。
    では、また次回。

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