木元哉多ゼミ〜推理作家の思考 第40回 映画講座 『万引き家族』②

    ここまでが物語の前半です。
    ここからが後半。起承転結でいえば「転」になります。僕は「起点」に対して「変点」と呼んでいます。
    ここで事態が急変する何かが起きなければならない。それは前半部分までの均衡を崩す何かでなければなりません。
    それが祖母の死です。
    突然、祖母が亡くなります。だが、なぜか火葬場に連れていけない。
    たぶん死亡診断書を取れないからですが、それがなぜなのか分からない。年金を不正受給するためかと最初は思うのですが、そんな単純な話とは思えないくらい、父と母が慌てている。
    ともかく火葬場に連れていけないので、自宅の軒下を掘って死体を埋めようとします。ここでもこの家族は平気で犯罪(死体遺棄)をします。子供たちもしっかり手伝う。
    普通の感覚だと、祖母の死体を軒下に埋めるとしたら、子供には見せたくないので「子供はあっちに行ってろ」とか言いそうです。
    でも、この家には個室がない。子供に「自分の部屋に入ってなさい」と言えない。家族に対していっさい秘密を作れない。すべて筒抜けになってしまう。
    だから犯罪も、みんな一緒にやる。
    ただもちろん、ずっと一緒に暮らしていた祖母を、そんなかたちで埋めるのは心理的な抵抗があります。にもかかわらず、やむをえない事情があって、全員受け入れる。
    その事情がなんなのかは、やはり曖昧模糊とした謎として設定されています。

    祖母の死をきっかけとして、今度はこの家族の悪い面が現れはじめます。
    映画の前半は家族のよい面、後半はその裏返しの悪い面が描かれる。
    すでに予兆はありました。
    父は建築現場でケガをして、しかし労災は下りず、働けなくなって収入がなくなります。母はパートをクビになる。
    つまり、もともとこの家族は壊れかかっています。ただ、収入はなくなるのですが、最後は万引きすればいいと思っているのか、大人たちは気楽なものだったりする。
    むしろ変調をきたすのは、男の子の祥太です。
    あたりまえですが、祖母をあんなかたちで軒下に埋めて、しかも父から「もともと祖母はいなかったことにする」と言われて、何も感じないほうがよっぽどおかしい。
    祥太は学校に行っていません。
    なぜ自分は学校に行けないのか、父からは「家で勉強できないやつが学校に行くんだ」と説明されています。でも、彼はそれに疑問を感じる年ごろになっています。
    万引きにしてもそうです。経営者の顔が見えないスーパーで万引きするのはさほど罪悪感がないとしても、店主と顔なじみの駄菓子屋がつぶれたときはショックを受ける。彼はこの駄菓子屋でよく万引きしていました。
    ただ、駄菓子屋の店主は、祥太が万引きしているのに気づいていて、貧乏でかわいそうに思ったからか、好きにさせていました。
    だけど、祥太が自分の妹にも万引きさせているのを見たとき、たまりかねて「妹には、させんなよ」と忠告します。
    この言葉が、祥太の心に重く響きます。
    父からはこう言われています。「お店に置いてあるものは、まだ誰のものでもない」と。だから万引きしていいんだと。
    つまり祥太はここで、二つの異なる教育を受けることになります。
    父からは「万引き=善」という教育を受ける。善というより、必要悪かもしれません。貧乏なんだから、盗むしかないだろうと。
    でも駄菓子屋の店主からは、それとは異なる教育を受ける。
    それが「万引き=悪」という教育ではないところがポイントかもしれません。
    駄菓子屋の店主は、祥太が万引きしていることに気づいていたのに、それについては何も言わなかった。でも祥太が妹にもそれをさせているのを見たとき、黙っていられなくなって「妹には、させんなよ」と言った。
    祥太はその意味についてしっかり考えます。駄菓子屋の店主が彼に与えた教育は、教える教育ではなく、考えさせる教育です。
    ちなみにこの店主の役は、柄本明です。ワンポイントの起用なのですが、その演技でリリー・フランキーとの対比の構図をしっかり作っていて、抜群に存在感があります。

    祥太は頭のいい子です。学校には行っていないのですが、本をよく読んでいて、『スイミー』の話を読んで、「なぜ小さな魚たちが、大きなマグロをやっつけるのか」みたいなことをずっと考えているような子です。
    妹ができる、というのもポイントだったりします。
    今まで自分が末っ子だったのに、急に妹ができて、父や母の愛情を妹に半分取られてしまう。彼は最初、ちょっとすねてしまいます。
    でもこの妹が、自分のあとをちょこちょこついてくる。妹を守ってやらなければならない立場になることが、彼を少し大人にします。
    祥太は、自分が父から教わったように、妹にも(よかれと思って)万引きの仕方を教えます。でも駄菓子屋の店主から、それは間違っていると言われてしまう。
    なぜ間違っているのか、店主は特に説明しません。ただ、「妹には、させんなよ」と言うだけです。彼はその意味について考えざるをえない。
    ここでやっと分かります。
    この映画の主役は、リリー・フランキーではなく、この男の子なのだと。

    祥太が押し入れに入っているシーンが印象的です。
    彼はその暗闇のなかで、懐中電灯の明かりでガラス玉を照らしている。ガラス玉は青くきらきらと反射する。
    妹に「何が見える?」と聞かれて、彼は「海」と答える。妹は「宇宙」と言う。
    襖一枚ですが、この押し入れだけは外界から遮断されています。この唯一のプライベート空間は彼らにとって「海」であり「宇宙」です。ここにいるときだけは家族の影響を受けず、自分の頭だけで考えられる。
    彼は本をよく読んでいます。勉強したいし、学校にも行きたい。でも父は学校には行かなくていいという。
    祥太のなかで、いろんな矛盾が出てくる。でもまだ子供なので、そこまで言語化できない。しかし妹とスーパーに行ったとき、妹が自分の真似をして万引きをはじめるのを見た瞬間、突発的な行動に出ます。
    頭の中はぐじゃぐじゃです。
    でも、妹にそんなことをさせてはいけない。駄菓子屋の店主の言葉は、彼にしっかり伝わっています。
    彼はわざと店員に見つかるように万引きして捕まろうとする。
    その際にケガをしてしまい、病院に運ばれる。それがきっかけで警察の関与を招き、家族は逮捕されてしまう。
    そして謎が解ける。実はこの家族は、誰一人として血のつながりのない擬似的な家族だったことが明かされる。
    では、また次回。

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