木元哉多ゼミ〜推理作家の思考 第43回 映画講座 『わたしは、ダニエル・ブレイク』②

    イギリスの行政では、多くがオンライン申請になっています。でも、ダニエルのような老人にはそれも難しい。だからといって、行政は助けてくれません。いろんな意味で、弱者に寄り添う制度になっていない。
    このオンライン申請を、隣人のマックスが助けてくれます。
    彼は犯罪者ですが、根はいい人です。だから中国マフィアに利用されてしまうのですが。
    その彼がダニエルにこう言います。

「役所は助ける気なんてない。とことんミジメにさせるだけ。すべて保身さ。大勢申請をあきらめてる」

    マックスにも経験があるのでしょう。国に支援を求めたが、移民に対して不親切で、差別的で、結局、はねつけられたことが。
    なので国に助けを求めず、犯罪に向かう。国は犯罪の取り締まりに金がかかり、財政はより痛むことになる。

    日本でもコロナ禍において似たようなことが起きています。
    休業を余儀なくされた飲食店への支援がすんなりいかない。予算には上限があるので、なんだかんだ言って出し渋るという構図は同じです。政治家はどうしてもオリンピックをやりたいので、そっち側の予算は持ってこられない。
    結局、国に支援を求めるより、犯罪ではないですが、休業要請を無視して営業を続け、コロナ感染者が増える。今度はその対策に金がかかって、財政がより痛む。
    こういうところはどの国も同じです。
    ただ、やはり失業率や移民問題など、日本人が想像するのが難しいくらい、向こうは深刻なのだと思う。
    失業者の移民が多いから、時給600円以下の仕事でもやるしかない。ここでも貧しい人への搾取が起きています。
    移民は政治的な保護の対象外です。その結果、犯罪が増える。
    マックスのような移民が簡単に犯罪に手を染めるのは、そうするより仕方がないからです。山に食べ物がない野生動物が、人里に下りてきて畑を荒らすのと同じです。誰だってそういう状況になったらそうします。
    誰が悪いのかはともかくとして、「移民=犯罪者予備軍」というイメージにはなる。
    移民に悪感情を持つ人が増えて、それが社会の分断につながり、人種差別につながる。EURO離脱の伏線にもなっています。

    ダニエルは、ケイティという女性と知り合います。
    シングルマザーで、小学生の子供を二人連れています。十代のときに出産して、そのとき高校を中退したらしい。彼女は働きながら、もう一度高校に行きたいと思っています。
    彼女が復学したい理由は、高校中退だと就職できないからでしょう。
    高校に行くためには、まず仕事を探さないといけないのですが、なかなか見つからない。役所に支援を求めても、ダニエル同様、いろいろな壁があって弾かれてしまう。
    彼女は生理用品も買えない状態です。子供の食費もままならなくなる。そのため万引きし、さらには売春まではじめてしまう。
    ここらへんは『レ・ミゼラブル』のファンティーヌを連想させます。

    この映画は『半地下の家族』のようなサスペンス要素はなく、『万引き家族』のようなミステリー仕立てもありません。エンタメとの両立という点では薄い。
    そのかわり貧しい者同士が、それぞれ犯罪に手を染めるのだけど、助け合って生きている様子がしみじみと描かれていきます。
    その助け合いが、韓国や日本では「家族」なのに、イギリスでは「コミュニティー」ないし「ボランティア」であることが特徴的です。
    象徴的なシーンが二つあります。
    ダニエルが家の修繕を手伝ってくれたので、ケイティは夕食をふるまいます。しかし金がないので、ダニエルと子供二人にはパスタ料理を出し、自分はリンゴをかじるだけ。ケイティはすっかりやせてしまっています。
    もう一つは、ダニエルが隣人のマックスの部屋を訪ねたとき、そこにはマックスの友人もいて、つまり三人います。しかしチョコバーは一本しかなかった。
    それでどうするかというと、そのチョコバーを四等分して、そのうち二つをダニエルに渡し、マックスとその友人が一つずつ食べる。
    三等分ではなく、四等分するところがおもしろい。ダニエルに二つ渡すのは、彼が年長者だからでしょう。
    マックスとその友人の宗教は分からないのですが、「年長者を敬う」みたいな習慣があって、律儀に守っているのだと思う。そういうところは道徳的だったりします。
    とにかく全員、金は持っていないのだけど、食べ物を分け合うとか、協力しあうとか、そういうことはすごくやる。ダニエルはケイティの家の修繕を手伝うし、マックスはダニエルのオンライン申請を手伝います。
    相互扶助の伝統があって、ボランティアもふくめて、みんな貧しくて犯罪者なのに、そこは守って生きています。

    この映画から伝わってくるのは、国や政治家が果たすべき役割をなんら果たしていないことに対する怒りと抗議です。
    主人公のダニエルは、最後、公務員に対していよいよ腹を立てます。
    そして役所の壁に「わたしは、ダニエル・ブレイク」とスプレーで落書きする。警察が来て、彼は連行されてしまう。
    彼は真剣に怒っています。マックスやケイティのぶんまで怒っている。
    国は、国民にマイナンバーを振って、デジタルに管理しようとする。そのほうが効率よく、かつ幅広く、税金を取れるからです。
    しかし、国民はナンバーではない。名前のついた、「1か0か」では割り切れない感情を持った生き物なのだと彼は訴えています。
    すべての人に歴史があり、それぞれの事情がある。すばらしい人間ではないかもしれない。頭も悪いかもしれないし、能力も低いかもしれない。それでも、彼らが助けを求めたとき、助けてやれない国なら、なんのための国家なのか。なんのために政治家なんてものがいて、なんのために国民は税金を払っているのか。
    役所の建物ばっかり立派で、身なりの整った公務員がたくさんいるのですが、彼らの仕事ぶりはいかに予算の範囲内におさめるかということだけです。
    そもそも、そんなに多くの予算は割りふられていない。予算を超えたときは、彼らは鉄面皮になって、弱者の切り捨てにかかります。彼らが守りたいのは、役所という体制であり、自分たちの雇用と給料であって、弱者じゃない。
    でも国が弱者を助けないなら、逆に彼らは中国マフィアの手先になって、やがて国を滅ぼすだろうとも警告しています。
    では、また次回。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?