木元哉多ゼミ〜推理作家の思考 第24回 小説講座 第1巻第4話 君嶋世志輝編②

    第1巻の三話までは、僕のなかで沙羅のイメージが固まっていないため、セリフはかなり控えめです。
    でも、大事なのはキャラクターではなく、物語上の立ち位置です。
    成長小説という枠組みを取る以上、沙羅は主人公に試練を与え、成長をうながす存在でなければならない。表面上はおちゃらけていても、それにふさわしい人格をそなえている必要がある。
    キャラクターが先にあるのではなく、まず物語があり、各登場人物にはそのなかにおけるポジションと役割がある。
    サッカーでいえば、フォワードはフォワードの仕事をしなければならないし、ゴールキーパーはゴールキーパーの仕事をしなければならない。
    その役割をどう果たすかは、キャラクターによって差異が生まれる。その差異のなかに個性が浮かびあがってくる。
    これが正しいキャラクター理論だと、僕は思っています。
    まず、物語の構造を理解すること。これに尽きます。
    キャラクターもストーリーも、あるいは謎の設定も、すべてはそこから派生します。建築家は建物を設計するとき、大きな地震が来ても耐えられるようにしっかりと構造計算をします。それと同じように、どんなに揺れ動いても、けっして倒壊しない強靭な物語の構造をまず作る。
    その次に、物語の構造に沿って、登場人物を配置する。登場人物には必ずなんらかの役割が与えられている(役割のない人物は登場させてはいけない)。その役割をどう果たすかは人それぞれで、そこに個性が立ち現れてくる。
    この順番でないといけない。
    キャラクターを個性的に作るのではないということです。その人物が果たすべき物語上の役割があり、その役割をやり遂げようとする意志と情熱において、その人の個性が発揮されなければならない。

    四話まで来て、やっと沙羅を動かせるようになってきたという実感があります。
    これまで沙羅には二つのモードしかありませんでした。一つは、相手を否定するときの説教モード。もう一つは、相手を肯定するときの称賛モード。
    けなすか、ほめるか。この二つのモードしかなかった。
    第4話の沙羅は、もっと自由にのびのびと動いています。世志輝は、相手が閻魔大王の娘でもひるみません。沙羅に食ってかかり、負けても負けても食い下がります。
    沙羅も負けず嫌いなので、これでもか、これでもかと世志輝を懲らしめ、エゴを出していく。そのエゴの出し方に小悪魔な感じが出てくる。
    僕の書く小説は「漫画的」とよく言われるのですが、この評価は間違っていると思っています。
    ただ、会話を中心に物語が進んでいくという意味で、「会話劇」だとは思っていて、その会話の技巧は、漫才から多くを学んでいます。漫才こそが究極の会話劇だと思っているからです。特にサンドウィッチマン、ナイツ、千鳥の三組を参考にしています(これはまた別のところで)。
    したがって「漫画的」ではなく、「漫才的」が正しい。同じ「漫」なので、どこか通底しているのかもしれませんが。
    沙羅と世志輝のやり取りは、いかにも漫才的です。
    世志輝がボケて、沙羅がツッコむ。沙羅がどんなにツッコんでも、世志輝はボケ続ける。このとき沙羅は世志輝に対して雷のようなものを打ち込むのですが、これはハリセンの変形です。

    沙羅は狂言回しなので、主人公によって立ち位置は変わります。
    なんとなくイメージしているのは、テレビ番組の『徹子の部屋』です。
    毎回、部屋に来るゲストは異なります。黒柳徹子は相手によって微妙に自分の立ち位置を変えています。
    相手の特徴を引き出すのが司会者の仕事です。寡黙な相手のときはやわらかく質問して、言葉を引きだす。おしゃべりな相手のときは、自由にしゃべらせつつ、脱線するときは手綱を締める。
    相手の表情をよく見て、自分のスタンスを決めています。自分主導ではなく、相手ありきで、ゲストに何かをを強いるようなことはしていません。それを自然体でできるから、番組が長く続くのだと思います。
    彼女が自然体でいると、相手もおのずと自然体になって打ち解ける。ちょっと不思議な能力を持った人です。
    沙羅も各話の主人公に応じて、微妙に立ち位置を変えています。
「風林火山」みたいなものです。時に風のように速く、時に林のように静かに、時に火のように激しく、時に山のように動じない。
    相手によって変幻自在、融通無碍に立ち位置を変える、万能のキャラクターです。
    けなすか、ほめるか、という二つのモードが基本ですが、このあとシリーズが続いていくにつれて、バリエーションが広がっていきます。第4話が、その嚆矢ということになるかもしれません。

    この回で、特に印象に残っている沙羅のセリフがあります。

「それに、あなたみたいな人間を生き返らせたらどうなるか、ちょっと興味もあるし」

    沙羅がプライベートな本音を吐露したのは、これが初めてです。
    このセリフは、僕が最初に書いた原稿にはありませんでした。当時の担当編集者のアドバイスで書き足したものです。
    第1巻を出した時点で、実は第3巻まで出すことが決まっていました。
    シリーズは続いていくので、この第1巻の最後に、このあとも続いていく感じが欲しい。特に沙羅がなぜ死者を生き返らせるのか、その動機に触れるようなセリフをどこかに入れてほしい、と担当編集者から言われました。
    それで僕なりに考えて、このセリフを書き足しました。
    このセリフは、沙羅が、生き返ったあとの世志輝をリサーチしていることを匂わせています。でも、なんのためにそれをするのかはあえて書いていない。
「謎がもう一つの謎を呼ぶ」という書き方をしています。
    さりげないところですが、このセリフで沙羅の魅力が一つ引き立った気がします。

「推理の二段階方式」と僕が呼んでいるものができたのも、この第4話です。
「ちゃんと推理できる推理小説」を書こうとしているのだから、推理の過程も計算式のように書いたほうがいい。いきなりひらめいて解けたのではつまらない。
    そこで謎を解く過程を、二段階にする。
    この第4話でいえば、世志輝はまず第一に、電話での兄の不自然な口調から、今、兄が拉致されている可能性に気づく。
    これが第一段階。でも、誰になぜ拉致されたのかが分からない。
    続いて第二段階で、なぜ兄は自分を巻き込んだのか。兄なら弟を巻き込むくらいなら死を選ぶだろうという疑問から、弟を巻き込まざるをえない状況だった。つまり由宇も一緒に拉致されていることに気づく。
    一つ謎が解けることによって、もう一つの謎が生まれる。それを解くことによって全貌が明らかになる。
    この「推理の二段階方式」は、謎の解け方として綺麗なので、このあとシリーズで多用することになります。
    では、また次回。


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