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未来の断捨離


ネオンが輝く6畳間。
私の水槽はここ、ここ居れば怖くない。
私はいつまでだって、ここに居られる。何度この部屋だけで過ごし、一日を終えて、また別の朝を迎えようと、いつまでだって。

いつまでだって…

いつまで…?


『あの、ところでマルさんは未来に希望とか持たれてる系ですか?』
薄く発光しているヘッドホンを通って、トモダチの唐突な質問が届けられた。何となく震える声に少し苛立ちながら、私は少し考える。系ってなんだよ。

目は、手元を見る。手は、癖でマウスを遊ぶ。

長く、キラキラとビーズの乗って防御力の高そうな爪、とは裏腹に、私のココロは繊細だ。
この爪のある手でココロというものを握ったら、きっとココロは5か、6等分されてくれる。

「どうでしょう…正直いつまでだってこの部屋にいられるけど、いつまでなのか分からない。時々考えて死にたくなりますよ、へへ。」
ちょっとだけ声の調子を上げて言う。
ヘッドホン越しにホッとするトモダチの気配を感じて、またイラついた。

よかった、安心した、また、頑張って生きようね

その後つまらない話をまた数十分して、このチャットでよく使われるセリフを全て消費し切ったので、トモダチとはお別れした。


ヘッドホンから流れ出る音が無音の音になって、はっと現実に引き戻される。
毎度この感覚には慣れなくて、例えばゲームで苦労してコンプリートした時の快感に酔いしれていたって、大好きな映画で涙腺崩壊していたって、その後に来る、たった数秒の無音で全ての感動はなし崩しにされる。

そういう何千回目かの感覚に襲われつつ、xのアイコンをクリックする。
検索欄を続けざまにクリックして、
#生活保護

今日は支給日だ。
日本にいる同胞たちの存在を強く感じれる日。
私にとって1ヶ月で1番精神が安定する日。

私は生活保護を受け始めて1年程経つ。
理由は精神疾患。新卒で入った企業で、粉になるまで働いて、気づいたらこの6畳間が私の世界になっていた。

何も前進していないような、ここだけ時間が止まってしまったかのような感覚はとても辛い。だから、ひと通り同胞の存在感を味わって、安心する。

ほっと一息つくと、カーテンの隙間から、夜明けの空が見えた。一瞬で満タンだった安心ゲージが少し削れる。
昔は、この早朝のあいまいな青色が好きだった。高校では強豪のバレー部にに入っていて、早朝練のたびにこの空色を眺めていた。
ああ、過去に戻りたい、なんてこの人生において何度思えばいいのだろう、



…喉が渇いた。
久しぶりに人と話して緊張したらしい。
水を取りに行こうとデスクから立ち上がると、足になにか引っかかって古いノートが出てきた。

『にいなの秘密ノート』
アイボリー地に淡い小花柄のノートに、ネームペンでそう書かれていた。
少し埃っぽい表面を手ではらい、表紙をめくる。


『25才のわたし、元気ですか?
今のわたしは10才です。』

出だしで既に恐ろしい。
キラキラした幼い、無知な自分にイライラし始める。

『私はきっと東京でハイヒールをはいて、すごいビルの中をカツカツ歩いているんです。お金は沢山あって、とっても美人さんになってるはず。まち中で色んな人にふりかえられるの。』

ごめんなさい、そんなことない。

私は裸足で、6畳間の世界でも小さくなって隅に座り続けてる。お金は人様から頼ってて、他人に会わないから身だしなみなんて気にしてない。唯一気にする手元は、鏡を見ずとも嫌でも目に入るから。私が振り返ると自己啓発の書籍と薬の束があるの。


約5ページに続いて、10歳の私によるこれからくる希望に満ちた世界が延々と説明されていた。小学生がB4ノートに5ページも文章をつらつらと書けるのなら少しは分の才能があったのかもしれない。
ページをめくる手は汗ばんでいる。喉の渇きは忘れていた。

『だから、たくさんがんばってね。人よりたくさんがんばって、立ぱな人になってね。』

最後に追い打ちをかけられて、1発KO。
しばらくその場から動けず、ノートを閉じる気力すら失った。
既に社会は眠りから覚めて、今日の準備運動を始めている。
あ、ラジオ体操の音楽は大嫌いです。

どのくらい動けなかったのか、数分か、数十分か。また喉の渇きを感じはじめた。手元のノートをパラパラめくると、未来の理想像の文章の後には雑然とした文章と、落書きみたいな絵。

…ッカ、となってキラキラした爪に背表紙が引っ掛かった。
それまでの安定しない字とは違って、大人の整った字がそこにあった。


『ママは にいなが、おブスでも、お金がちょっとしかなくても、そんなに頑張らなくても、幸せににこにこしていればそれだけでうれしいよ。』


小学6年の時に病死した母の字だった。10歳のころにはもう病院にいたはずだから、私はこのノートを母の居る病室まで持っていたことがあったのだろう。
「うわぁ、これは…きつい、なぁ」
別に言おうとしたわけじゃないのに声が漏れる。
母は本当に長いこと病院にいたが突然、安定していた時期に亡くなってしまったから、たいそうな思い出作りもままならないままだった。
そして私の心に棲む母は、年を追うごとにネオンに呑まれて見えなくなってしまうように、小さくなっていった。

母の字がにじむ。
にこにこなんてずっとしていない。
もういないはずの母の抱擁を感じた。
何かを赦されるのを感じた。



『そんな感じで、心機一転、何もかもを変えました。眠る時間、起きる時間、ゲームじゃなくてほんの少しずつ運動をし始めて。病院にもちゃんと通って。母は私に完璧なんて求めていなかった。ただ一人でも、裸の私を赦してくれる人がいると思った瞬間、それまで自分にのしかかっていた罪悪感や責任が少し下せたんです。

…こう、今の世の中って、心がダメになったり、生活保護を受けたり、受験に失敗したり、そういうことを全部たった一人、こんなに大きい宇宙でたった一人に押し付けるんですよね。
そんなの、苦しすぎはしませんか?
今私たちは生きているだけで、我々の肩には大きな空気の体積が乗っているのに。

保護を受けていた時に調べたんですけど、鬱って遺伝も大きいらしいですね。うちも父がやはり母の死後、発症していたんです。なんかこれだから鬱になっても仕方がない、と言うとそれって鬱の容認になるんですけど、『鬱になることだってあるさ』、みたいな感じの『鬱になっても仕方ない』をこの世の中に広めたいんです。
これは鬱に限った話じゃなくて、受験の失敗だって、その子の勉強量にだけ原因を追究していいんでしょうか。今回は遺伝とかではなく、その環境とか経済状況とか、そういうもっと引いたところからの目線?というものがこの世に広まってほしいということなんです。

あは、何の話でしたかね。』

今日の日記はインタビュー方式にしてみた。
あの小花柄のノートは、裏表紙だけ切り取って捨ててしまった。

ちなみに私の鬱は完治していない。今でも定職には就けていなくて、派遣で仕事に行ったり、行けなかったりを繰り返している。
それでも、私の世界は6畳間ではなくなった。

ネオンは程々にして、最近は、朝の曖昧なあの青をまた好きになってきた気がする。





未来の断捨離ー
何捨てるの?

来たれ、【過度な責任】が棄てられる未来。



全くショートショートではなかったですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。



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