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手品に不思議は要らない?

僕は子供の頃『コメディーマジシャン』になりたかった。

なぜならば普通のマジシャンたちは不思議さだけを押し付け、楽しいマジックを演じている人なんて皆無だったからだ。

『面白いマジック』を演じているのはコメディーマジシャンしかいなかったのだから、それを目指すしかなかった。

・・・だからと云ってコメディーマジシャンであれば全員讃美するという訳ではない。わざと転んでみたり作り笑いをしてみたり、そんな変な人も沢山いる。それで観客が笑うと思っているの?って言いたくなってしまう。


僕がまだ小学生の頃、1990年代のコメディーマジシャンはそれはそれは絶品でした。

チャーリー・チャップリン(映画監督、コメディアン)やマルセル・マルソー(パントマイマー)、フレッド・アステア(ダンサー)を彷彿とさせるコメディーマジシャンが大勢いたのだ。

ハンカチから鳩を出したり、胴体切断をしているような御仁とは大違い。まるでそこがひとつの芝居を観ているような、圧巻のコメディーマジックがそこにはあった・・・。

素敵な手品はどこに消えてしまったのか?

きっと「不思議さの追求」をしてしまったのではないだろうか。観客は何を望んでいるのか、それは「手品の楽しさ」である。不思議じゃなくても良い。面白い体験をしたいはずだ。

だから僕の手品は「面白い体験が出来るマジック」をコンセプトとして提供している。

面白い手品が出来るようになるにはコメディーマジシャンになるしかないと思い込んでいたが、どうやらそれさえも凌駕してしまったようだ。

なぜならば僕の手品にはフレディー(アステアの愛称)やチャップリンのようなセンスは皆無だからだ。僕の面白いと思う究極を追い求めていたら、こういう形になってしまった。

まさか僕が着物を着てマジックショーをするようになるとは思ってもいなかった。面白い人生である。


ある方が僕に感想メールをくれた。

「君の手品はとても有名なものだ。世界中で見たし、トリックも知っている。でも君の手順は初めて見た。トリックを知っているのに面白いと感じたのは初めてだし、画期的なアイディアだと思う」

現在では”ある国”で映画監督になってしまって遠い存在になってしまったが、その人のお眼鏡に適うレベルになっているのかな〜なんてしみじみ思う。


そんな僕の手品を見たい方、お仕事のご依頼お待ちしています・・・なんて宣伝してみたり。







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