「絵が描ける人」になりたかった。
ずっと、「絵が描ける人」になりたかった。
ここで言う「絵が描ける人」というのは、アート作品でもイラストでも、とにかく自分の表現を持っている人のことだ。
自分らしい、オリジナルの手法や絵柄を持っている人。
私は常々、そういう「自分にしかない表現」みたいなのに憧れていた。
中学では2年ほど美術部に所属していた。
そんなに本気でいたわけじゃない。
でも、ただ景色を写生するだけでなくそこに「自分」を盛り込める人はなんだか天才的で個性的で羨ましかった。
私にはなかったから。
もともと、本が好きで言葉が好き。
自然な流れでライターという職業にたどり着いたし、文章を書くことが私のアイデンティティを守るために必要だった。
「描ける人」にはなれなくても、「書ける人」で居られれば良い。
だけど、やっぱり心のどこかで羨ましかった。
まるで違う人種みたいに、手が届きそうで届かない、そんなもやっとしたものが確かにあった。
有難いことに、最近はいろんなご縁が繋がって自分が絵を描く機会が増えてきた。
iPad Proを買ったこともあり、絵を描く、ということのハードルが下がっている。
そんな中、一つ分かったことがある。
私は、「描ける人」はもともと、独創的な感性があってそれを表現しているだけだと思っていた。
でも、みんながそうではないのかもしれない。
長い時間をかけて、何度も何度も描いているうちに、自分のすきなやり方や表現が身についてくる。
気づいてしまえば簡単なことだけど、気づくのに時間がかかった。
私にはできない、違う人種なんだから。
そうやって、ただ遠いところから眺めているだけだったから。
今からでも、遅くないのかもしれない。
絵描き。アーティスト。画家。イラストレーター。
そんな言葉たちに幻想を抱いているだけならば、やってみてもいいかもしれない。
ちょっとだけ、ちょっとずつ、そうやって思うようになってきた。
絵は、とても自由だ。
言葉に比べて、選択できるところがとても多い。
それを組み合せて、私にしかできない表現をしてみたい。
今そんな欲求がある。
どうなるかわからないけど、わからないけどちょっとやってみようと思う。
そんだけ。
もう十分好きだけど、もっともっと自分のことを好きになるために。
こんな自分だったらもっと好きだなぁと思うことをする。
というわけで、飽きるまでは絵を描く人やろうかな。
最近お絵描きしたものたち。
言葉を綴ることで生きていきたいと思っています。 サポートしていただいた分は、お出かけしたり本を読んで感性を広げるのに使います。 私の言葉が誰かに届きますように。