しょうこの着物と歴史の万華鏡
着物にまつわるちょっとしたお話や昔のエピソードです。 明治大正生まれの祖母の着物生活や、着付の先生から聞いたお話など。
女性の着物がどんな変遷を辿って今の形になったのか、色々な角度から綴っています。 子供の頃から昔の着物がどんな作りなのか、どんな風に着られていて、どんな生活をしていたのか、 想像するだけでワクワクしていました。 好奇心に押されて、短大では総合日本文化とも言うべきカリキュラムの学校で勉強させて頂きましたが、まだまだ好奇心一杯です。 こちらでは、その頃に学んだ着物を含めた歴史を軸に、自分なりに調べた内容や、個人的な考察を加えた記事をまとめて掲載しています。
お仕立て直しに出しました💕 もちろん今様小袖(対丈)にして貰います。 大のお気に入りのぜんまい紬。 この着物は随分前にお仕立てしたのですが、 衿幅が広すぎたり、肩幅も大き過ぎたりで、 綺麗な着姿にどうしてもならなくて。 この写真はその時に着た物です。 大きい。だぶっとしてる感満載😅 上半身ですが伝わって来ますよね。 衿なんか明らかに幅が広すぎですが、 これできっちり半分に折ってるんですもん。 呉服屋さんを通して、イチからのお仕立てだったんですけどねー。 これ
今日は黒紋付について。 黒留袖は新郎新婦の母親しか着ちゃダメ、 というお話が、Xで話題になっていたらしいですね。 寡聞にして存じませず🤣 某呉服屋さんが呟いていらしたので知ったのですが その中で黒紋付も似たような事、 親族しか着ちゃダメ、 があると書いていらして。 元々は、黒留袖も黒紋付も親族及び参列者が着用する第一礼装なのですが ざっくり言うと、 結婚式やお葬式で親族が第一礼装を着ない、という事が現在は増えて来た。 そうするとその場で参列者が第一礼装を着用する
普段着に着物を気楽に着たい。 それが、私が対丈着物を着るようになった たった一つの理由です✨ 今一般的に着られている おはしょりのある着物の着方の先生からも 色々習いました。 お陰様でどの先生からもお褒め頂いて 「もうレッスンに来なくて良いわよ🤗」 なんておっしゃって頂いたり。 でもね。それでも 普段に簡単に着る 事は出来なかったんです。 面倒だったから(爆)。 着るために必要なアイテムを用意するのも 着物用の下着も 着る作
これ、一度は疑問に思ったという方 多いと思います。 かく言う私もです。 結論からお伝えしちゃいますね〜。 元々の意味は 袖が留まっているから=振りがないから です🤣 はい、ここ試験に出ますよー(ウソです) 振りが小さいのではなく 振りがない の意味なのです。 振りがないってどゆこと? ですよね。 振袖も訪問着も小紋も留袖も、 お袖の『振り』はありますから。 振り、この赤丸の所ですね では、どう言う事なのか解説しまーす。 江戸時代初期までの女性
襟(衣紋)を抜いて、おはしょりを作って という今の着物スタイルが大体出来上がったのは いつ頃か、ご存じでしょうか。 実は江戸時代。八代将軍吉宗の頃の事です。 平安時代以降、女性の髪形は垂れ髪と言って、 結いあげていませんでした。 着物の形も、鎌倉時代以降は今の形とは違って 身幅(横幅)が広い対丈(※)の小袖(着物) を、ゆるーっと身にまとう感じでした。 身分の高い武家の女性はその上に打掛姿です。 帯も今よりずっと細い物を、腰の辺りで簡単に 結んでいました