見出し画像

『タクシードライバー』と『JOKER』の類似性について

ちょっと今日は違った雰囲気のものを。
学校で「アメリカン・ニューシネマ」なるジャンルの作品を一つ鑑賞してレポートを書きなさい、なる課題があったんですね。その中にマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』があったんですけど、これが前々から気になっていた作品で。というのも、トッド・フィリップス監督の『JOKER』が個人的にすごく好きな作品で。僕の記事を遡ってくと高校時代に書いた論文が載ってるんですが、そこで取り上げたぐらいにはハマった作品だと言えます。
この『JOKER』という作品が、マーティン・スコセッシ監督作品に強い影響を受けていると聞いて、前々から観たかったんですが、学校の課題で出されたことによりようやく観ることができましたw
んでレポートを書いてたらかなりのボリュームになりまして。かなりいい出来なのではないかと思ったのでNoteにも投稿しちゃえー☆という魂胆から記事にしてみました。
「素人レビュー」みたいに解説を加えているわけでもないし、編集もつけないので若干読みにくいかもですが、よければご購読下さい!


 善良な市民が、社会に追いやられ、一人の悪へ変貌する。こういった物語の構成は、悲劇的なニュアンスの作品では常套手段だ。さてそんな物語で近年成功を収めたのが、トッド・フィリップス監督の『JOKER』だ。かの有名なアメコミヒーロー・バットマンの宿敵ジョーカーの誕生譚を描いた物語だが、この作品はマーティン・スコセッシ監督の影響を強く受けていることはかなり有名だ。
 その中でも作風・雰囲気・構成などが酷似しているのが『タクシードライバー』だ。主人公が狂っていく過程や取った行動、果てには性格や習慣などが非常に似ている。個人的に『JOKER』は大好きな作品の一つだし、『タクシードライバー』を観て「このシーン、すごく似てるなぁ」と思った箇所は多々あったので、本文ではそれらを紐解いていこうと思う。

 まず主人公の境遇、舞台設定、物語の進行などに関する相違点は一目瞭然だ。それぞれの主人公.....『タクシードライバー』のトラヴィスと『JOKER』のアーサーは、どちらも自身の現在の境遇に虚無感を抱いている。明確な違いがあるとすればそれは虚無感の内容だろう。トラヴィスは戦争からの帰還の影響で患った不眠症が、アーサーは自身の発達障害などから社会的な迫害を受ける日常が、それぞれの虚無感を抱かせている。だがそれでもなお際立つのは、主人公の異質さに他ならない。一般人とはかけ離れた過去を持つ二人だが、側から見ればそれは「異常」でしかない。その中でも二人に共通して現れている特徴というのはストーカー気質だということだ。しかもどちらも、見た目に一目惚れした女性に対してストーキング行為を働いている(まぁここでは、劇中で繰り広げられていたデートは全て妄想であった、というアーサーの方が異常と言えるかもしれないが...)。また今作では度々トラヴィスの独り言が流れる。現在の心境などをノートに書き留めているのだが、これは『JOKER』のアーサーが「ネタ帳」に自身が考えたジョーク(という名の心中の吐露?)を書き留めるシーンと共通する。

 続いて舞台設定。これに関しても、「腐敗した街」が舞台という明確な共通点が存在する。建物は一部を除いて小汚く、街路には当然のようにかなりの数のゴミが捨てられている。問題は政治・警察などの行政機関なのだが、こちらに関してはどちらも「表面上は」正常に稼働していると言える。が、『タクシードライバー』に関してはあまりにも裏社会の勢力が介入してきているからこそそう見えるのかもしれない。街のど真ん中で若者たちが薬物をキメているのにも関わらず警察が一切動いていないのはどう考えてもおかしいし、劇中トラヴィスがタクシーに乗せた次期大統領候補のパランタインは、街の治安の解決を「そうすぐに容易く解決できるものではない」とサラッと後回しにしている。『JOKER』では主人公のアーサーが、そういった社会の腐敗っぷりを一身に受けることで暗示していたものを、『タクシードライバー』ではより視覚的に表現していた。

 最後に物語の構成についてだが...これこそが『タクシードライバー』と『JOKER』の類似性を決めつける最大の要因であると言える。二作とも「虚無感に日々苛まれる主人公→あるきっかけを元に拳銃という「暴力」を手にする→虚無感は怒りへと変貌し、拳銃を用いて社会に歯向かう→やがて社会に大きな爪痕を残す(=強大な「悪」となる)」という流れを汲んでいる、が...ここで一つ疑問が残る。それは「果たしてトラヴィスは「悪」になったのか」というもの。腐敗した街に絶望しきって、次期大統領のパランタインの殺害を試みたトラヴィスだったが失敗し、そこで売春を行う少女アイリスのヒモ・スポーツや彼の用心棒、そして売春稼業の元締めを拳銃で殺害する。後日トラヴィスは「少女を裏社会から救った英雄」としてニュースに載る訳だが...どうにもこのトラヴィスを英雄視することは、個人的に難しく思えた。事実、彼も「ニュースは俺を過大評価している」と述べているし、なんならパランタインの殺害未遂で逮捕されたっていいぐらいだ。更に言えば、トラヴィスの思考回路はかなり自己中心的だ。ベッツィーにフラれたのは明らかに自分のせいなのにも関わらず彼女の職場にまで押し寄せ、連絡をよこさなかったことに逆ギレしたり、アイリスには所謂「べき論」を多用して売春を止めることへの説得を試みている。特に後者に関しては、結局アイリスを説得できず彼女のヒモたちを殺害することで無理矢理解決をしている。その後トラヴィスに届いた感謝の手紙だって、送ったのはアイリスの「両親」であり彼女本人ではない。そう考えると、トラヴィスを「正義」だと決めつけるのにはいささか無理があるとしか思えない。従って、『タクシードライバー』は『JOKER』と同じく、主人公が悪に堕ちる物語と捉えることもできるだろう。
奇妙なことに、今作でトラヴィスを演じたロバート・デ・ニーロは『JOKER』にてアーサーの憧れの人物として出演する訳だが、彼もまた腐敗した社会に巣食う「アーサー(社会的弱者)にとっての悪」だったことが終盤で明かされる。このふとした繋がりもまた、『タクシードライバー』と『JOKER』の類似性を高める一つのピースなのである。

 余談だが、マーティン・スコセッシ監督は今作の後に、同じくロバート・デ・ニーロ主演の『キング・オブ・コメディ』(1982)という映画を公開したが、これもまた主人公の行動や思考、境遇などリンクするものが多く、また『JOKER』に繋がる部分も数多く存在する。現代において「アメリカン・ニューシネマ」というジャンルは浸透し、いい意味で年々とその名は廃れているが、その最後の傑作と呼ばれた今作は『JOKER』にて後世に語り継がれる結果となった。その真髄にはアメリカン・ニューシネマが生み出した「避けられない運命」すなわち「現実感」が潜んでいる。そう、現実感。そのリアリティさが溢れる作風が評価を得たならば、”今作のようなことが現実で起こる”可能性だってあるわけだ。事実、この作品に影響を受けた一人の男性(ジョン・ヒンクリー)が「レーガン大統領暗殺未遂事件」を起こしている。
『タクシードライバー』は確かに珠玉の名作だ。だが作風から滲み出す強烈なまでの「現実感」は、後世に「事件」となって爪痕を残している。そして『JOKER』のヒット以降、再発する可能性だってゼロじゃない。

もしも再びこのようなことが、あるいは更に規模が大きい形で発生したら...?

…Hey. Wait.

“ You talkin’ to me? ”


この記事が参加している募集

#映画感想文

66,776件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?