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ネトゲ婚した人にインタビューした話!(2/4話)

前回の続き

■リアルのノウキンさん

現実世界のノウキンさんは、40年ほど前に新潟県に生まれた。

小学校1年のときに買ってもらったファミコンがゲームとの出会いという、典型的なファミコン直撃世代。
中学になってからは、ゲーム以外の趣味として音楽にハマっていった。
高校に入学するとさらに音楽にのめり込み、部活にも入らずバンド活動をするようになる。
本人曰く、真面目に頑張る運動部を冷めた目で見るような、斜に構えたバンドマンだったという。

しかし、ここからいくつもの人生の岐路がノウキンさんの目の前に現れる。

まずは高校卒業後の進路。
ノウキンさんが所属していたバンドメンバーの中には、音楽の専門学校に行きプロを目指す、という進路を選択した者もいたのだが、
そこまでの覚悟を持つことはできなかった。

結局、親が自動車の整備工場をやっている都合で、自動車整備士に専門学校に2年通うことにした。
在学中、ノウキンさんは全く学校の勉強をせず遊んでいたという。
ほとんどの場合、こういった「勉強していませんでした」というのは謙遜であることが多いのだが、本当にノウキンさんは勉強していなかった。
というのも、この頃のノウキンさんは車に興味や関心が全くなく、学習意欲もゼロ。本音を言うと親の工場も継ぎたくなかった。
その結果、専門学校を卒業したときには『知識皆無の自動車整備士』という信じられないような存在になっていた。

卒業後は地元のディーラーに入社したものの、当然のように全く使い物にならず社会の厳しさを知った。
何もわからないまま過ぎていく日々に苦しんだ結果、1年半で尻尾を巻いて退職してしまう。

それからも選択は続く。
ディーラーは辞めたのだが、このままでは親の工場を継がされてしまう。
なにかやりたいことはないか自問自答したものの、これといってやりたいことはなかった。

継ぎたくない理由を探していく中で、貿易関係の通関士という資格を見つけた。
貿易って格好良さそうだし、俺はこの資格を取る!と意気込み、バイトをしながら1年間の猛勉強をした。
結果は不合格。人生の扉は重かった。

今後の自分や親との関係に悩んだ末、ノウキンさんはディーラーに再就職をした。
ただし、今度は整備士としてではなく営業として。

皮肉なもので、車を整備するのではなく売ることがノウキンさんには合っていた。
営業という仕事の面白さに目覚めたのだ。
本気で打ち込む、楽しいので勝手に仕事をする、成果が出る。好循環に繋がっていった。
人には向き不向きがあるものだと思い知った。

やや回り道をしたものの、25歳になったノウキンさんは仕事の楽しさを心から感じていた。

あるとき、知人の紹介で笑うセールスマンのような怪しい人を紹介された。
Tさんと名乗るその人は「成功したいんですか?」というトークをいきなりノウキンにぶつけてきた。

怪しい、しかし妙に説得力のあるTさんに引き込まれ、いつの間にか60万円の自己啓発CDセットを買っていた。
購入後、しばらく間をおいて現れたTさんから「コレを売る側に回りませんか?」という驚くような提案をされた。
自動車の営業にやりがいを感じているが、たとえ人より多く売り上げても、納得できるような報酬は貰えない。
しかし自己啓発CDの代理店になれば、個人事業主扱いになり、売った分だけ自分の手元に入ってくる。
自己責任で戦っていく個人事業主という存在が、いつの間にかとても魅力的に思えるようになっていた。

結局ノウキンさんは、あれだけ順調に行っていたディーラーの仕事を辞め、自己啓発CDを売る個人事業主に転身した。

ところがこの個人業主生活は、たった1年しか続かなかった。
その間の売上は200万円、活動諸経費が550万円。
つまり1年必死に働いたのに、350万円を失う結果となってしまった。

個人事業主に見切りをつけたノウキンさんは、再び仕事を探すことにした。
検索していると、東京のIT企業の営業職の求人が目に止まった。
そこの面接を受けてみると無事合格。
26歳という少し遅いスタートかもしれないが、上京して新生活を始めることにした。

ところが採用された会社は、当時の日本で5本の指に入るほどの超ブラック企業だった。
事務のおばさんが定時になると勝手に全員のタイムカードを切るので残業代はゼロ。
しかし毎月の労働時間は300~350時間。
IT企業のはずなのに、営業は携帯、パソコン、ポケットWi-Fiを全て自腹で購入して通信費も自分で支払うので、家賃すら残らない。
土日にバイトをすることで、なんとか暮らしていける有様だった。

ノウキンさんが2年ほど仕事に耐えた結果、会社が変わった。
ブラックを押し付けて大量に辞めた社員たちに、残業代未払いの集団訴訟を起こされたのだ。
経営者は逃げるように会社を手放し、会社組織は大きく変革されていく。
ノウキンさんはそんな過渡期に周囲を上手にまとめ、組織のホワイト化を図り成果を出すことができた。
営業だけではなく、人をまとめて行くという立場の楽しさも知った。
いつの間にか肩書は部長になっていた。

ところが会社が安定したのもの束の間、新しい経営陣と意見の対立があり退職を考えていたところ、
ノウキンさんの実績を知る同業他社から勧誘が数多く寄せられた。
殆どが部長級待遇だったところ、一社だけ「社長をやりませんか?」という驚くような誘いがあった。
1人でなんでもやる個人事業主という規模ではなく、大勢の社員を束ねる責任のある仕事。

ノウキンさんはその道を選び、社長になることを決めた。
それまでの職場での人望もあって、同僚たちも新しい会社へ何人もついてきてくれた。
会社は無事に軌道に乗り、今でも経営者として忙しい日々を送っている。

私はここまで話を聴き、なんという振れ幅が広い人生だろうかと感嘆した。
前々から社長をされていることを知っていたのだけども、こんな道程があったとは。
そんなノウキンさんが、どうやってネットゲームで結婚されたのか、ますます気になった。

■ネットゲームとの出会い

2012年。
ノウキンさんは、ドラクエの最新作がネットゲーム発売されることを知った。
一時に比べれば少しだけ仕事も落ち着いてきたし、昔からゲームは大好きだったので買わない手はない。
そしてドラクエ10をプレイしてみると、一気にハマりこんでしまった。
周りを歩く冒険者の一人ひとりが実在の人々で、街ではいろんなチャットが飛び交っている。
好きだった武闘家で敵を倒したりレベル上げをしていると、時間はあっという間に過ぎていった。
いくらでも遊ぶことができて、ログインして冒険をすることにのめり込んでいた。

会社の代表という重い立場であっても、ネットゲームに魅力には抗うことが難しく、仕事以外の時間のほぼすべてをドラクエ10に使う生活を送るようになってしまった。
しかし、今思えばこれも無駄ではなかった。

プレイ開始から1年後、ネットゲームを通じた運命的な出会いが訪れる。

つづく