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付加価値

「料理が美味しい」すなわち、商品の質だけで飲食店が成り立つ時代は終わったと感じている。

これだけテクノロジーが発展して、万人があらゆる情報にアクセス出来る時代の中で、単なる"美味しい料理"を提供することなど、当たり前のように出来る。

プロダクトの質だけで差別化を図るのは至難の業。特に飲食店は、商品に付随する価値を総合的に評価してその店の良し悪しを批評される。

接客、器、盛り付け、室礼、身だしなみ、清潔感、所作など、多岐にわたる。

これらの要素が、無意識的にプロダクトに乗っかっているのだ。

元サッカー日本代表の中田英寿氏が嘗てのインタビューで次の様な趣旨の事を述べていた。

「技術の差、それこそ、タッチひとつの技術で差をつけるのは難しい。寧ろそこは気持ちでカバー出来る」

飲食店に置き換えてみる。
「気持ちでカバー」という表現を鵜呑みにするのは良くないが、いわゆる、「その他の部分でカバー出来る」ということ、それが付加価値だ。

こういうと、「じゃあ商品の価値は手を抜いてそこそこでイイと言うのか」という声が聞こえてきそうだが、そうではない。


飲食店として根本的な資質というのは、「料理が美味しい」ということだ。そこは大前提として構えておきたい。

情報の民主化から、料理のみならず、スポーツにおいても芸術においても、技術を要する分野は、信じられないほどの進歩を遂げた。そんな中で、一重に"技術"のみによって生み出される"商品の質"、のみによって、差を生み出し、歴然たる実績をあげている店(飲食人)は、

ほんのひと握りに過ぎない。

今や誰もが、ある程度の美味しい料理などは具現化できてしまうのだ。

80点程度の飲食店が羅列しているマーケットの中で頭ひとつアドバンテージを取るためには、もはやプロダクトの質やマーケティングに甘えている場合ではない。


飲食業、というひとつの型枠を超えた、価値が必要なのだ。

根本に立ち返って私は考えた。

「美味しい」「接客がいい」「清潔」

こんなものは、出来て当たり前の要素。

もっともっと根っこを考える。

飲食業、外食産業とは、社会的な動物であるヒトの幸せに直結している。無くても生きていくことは出来るが、無くなってしまうとヒトの幸せに大きな営業を及ぼすものであることは確かだ。

幸せとは?

今度は、心理的な話になってくる。
神経学的な話になり、栄養学的な話になり、哲学的な話になり、、、


ヒト、という生き物に向き合う必要性が出てくる。


特に私たちは、人の身体に入り、血肉となるものを提供してお金をいただく様な商売をしている。

町場でハコを構えて何となく営業している、単なる"外食産業"ではなく、私たちが生み出し、最前線で社会に伝えていくべきもの、課題は、まだまだ山積みだ。

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