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コンタクト・ゾーンとしての同窓会・サークル

「人々が同窓会に来る理由は何だと思う?」
「それは自慢話のためか、旧友からカネを借りるためだ」

 これは今では故人となってしまったドラマ『冬のソナタ』でヨン様のライバルを演じたパク・ヨンハが、主演映画『作戦 The Scam』(2009)で語るセリフの一部だ。https://eiga.com/movie/54845/  記憶をたどってのセリフ起こしなので、映画のなかで正確な韓国語セリフや日本語字幕は思い浮かばない。

 この映画を観たのは制作から10年近く経ってのことであるが、映画のことは比較的早くから耳にしていた。なぜならば、映画監督が私の小学校、中学校、高校の同窓生であるからだ。そんな同窓生が制作した映画のセリフを引き出すのにはそれなりの理由がある。いま、エスニック・マイノリティの大学同窓会組織が日本社会や本土との関係において、そして自らの自助組織としてどのような状況に置かれているのかを調べる企画を立ち上げているからである。

 日本の学校に通い、日本名で生活をしてきた在日コリアンたちにとっては、大学への入学後、母語としての日本語ではなく外国語と化した母国語を修得し、歴史や思想・哲学を学び、民族的なアイデンティティの確立、もう少し大それた言い方をすれば人間としての尊厳を確立するきっかけを与えてくれる原点になることがあるからだ。

 そこには「北」とか「南」とか、「オールドカマー」であるとか「ニューカマー」であるとか、「純血」とか「混血」とかを越えて同じ大学で学んだ、または遊んだことを唯一担保にしつつ、同窓生として20歳も30歳も、否50歳以上も目上の人を「先輩」と呼び、自分の子どもや孫たちにもしない政治や歴史、文化のことを「後輩」たちに熱く語り合える同窓会という場が脈々と続くからである。まさに、様々な違いと共通点が交流し、対話し、時には拮抗するコンタクトゾーンとしての同窓会があることに着目している。

 同窓会の歴史を街場やローカルなヒストリーとしてつくることが最近ではパブリック・ヒストリーやグローバル・ヒストリーとして注目を浴びている。

 今までの在日コリアンの歴史が本土や国民国家の歴史に翻弄されてきたり、一部のエリートや男性中心の成功物語や武勇伝に偏っているのではないかという省察が芽生えるようになった。

 その点、同窓会が朝鮮半島の民主化運動や統一運動を展開するうえで誰と連帯してきたのかを整理し、差別や人権侵害を乗り越えるために闘ってきた大学のサークルや同窓会がどのような役割を果たしてきたのかを見直す。さらに、21世紀の今日、そのような運動の原点は衰退しているのか、それとも独自の進化を生み出しているのかを確認する対話や出会いが必要であると思っている。


 ネオ・リベラリズムの荒波は同窓生たちの分断を生み出してしまい、同窓会に顔を出すひとがまるで人生の「勝ち組」のように思われてしまう残念な時代でもある。しかし、大手企業の御曹司であれ、財運には恵まれない人であれ、人間の時間、空間、仲間、行間、隙間のトータルを測る法則が仮にあるのであれば、一人一人の「間」の総合値は誰もが均等または平等なのではないか。Come Empty Return Empty(空手来空手去)が人生なのである。韓国の演歌歌手であるテ・ジナもこのタイトルの歌を出している。

 だらだらと書いてしまったが、これから同窓生の家族に会いに出かけなければいけない。昨夜、焼鳥屋のカウンターで酔っ払っていた3人組の50歳代の男女は、どうやら中学校のクラス会帰りなのだったが、酔っ払った上に、延々と昔の○○君、△△ちゃん、◇◇先生の思い出話に浸っていた。思わず妻と二人で盗み聞きをしてしまったが、全く知らない他人の思い出話にこっそり笑いながら幸せを分けてもらった、そんな4月の最初の土曜日であった。





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