おもしろくない山登りを通じて

近場の山の標高差60m登山を日課にして2年。2021年の年間登山回数は471回、2022年は654回。通算で1125回となった。22年の目標は、確か1日2回であったが、届かなかった。仕事が、体が、年齢が、などと、なんのかのと理由をつけては、登らなかったのが主因である。
 
およそ山登りとは、登らない理由はごまんとあるものだが、登る理由はただひとつしかない。登るということである。その一念を持てなかったのは、登るという気持ちが弱かったからだろう。
 
これはやって初めてわかったことだが、標高差60m登山に対し、強い一念を持つのは意外と難しいものである。考えてみれば、すごく単調な登山道の上に、登ったところで大した充実感もないし、繰り返し同じ道を登り下りすることが実にばかばかしく感じるからである。
 
数年前、健康のために近場の山を登ってみようと思い始めたのがこの山登りであったが、今は単に健康のためだけでなく、もう少し広い意味での意義があるように感じている。

この山登りは実におもしろくないがゆえに、その意義を理解し、モチベーションを維持することが最も大事なタイプの山登りなのである。その意義は、山に登ること自体にあるのではなく、山に登ろうとする気持ちをいかに鼓舞するかにあると思われる。鼓舞というより、クセや習慣に近いものかもしれない。そう考えてみると、山にも達していない標高差60m登山も、意外と奥深いことがよくわかる。
 
山は、名前や標高、難易度、評判などだけでなく、登る対象と登る人との関わりのなかにある。その意味で、人それぞれに、年齢相応に楽しめるのが山登りのよさだろう。

さて、2023年はどんな山登りに出会えるか。おもしろくもない標高差60mの登り下りを通じて、もう少し考えてみたいと思っている。

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