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学んだこと全部仕事にしなきゃいけないのかよ


最近日々が常に愚痴っぽい。

マイナス思考のネガティブ人間になっている気がするけど、上がることがないのだから仕方ない。

ブランコでも、前にぐいっと進む爽快感があるように、後ろに引っ張られる助走もある。

いま多分、助走のタイミングなのだと思って堪えるしかない。いつまで?

第二新卒として転職活動をしていると、よく聞かれるのが学生時代頑張ったことなのだが私はこれが毎回心に引っかかる。

というのも、私は高校時代、とてつもなくやりたい事があってどうしてもそれを学びたくてそれを学べる大学に進学した。

少々金がかかる事だったため、バイトもしたし勉強もめちゃめちゃした。

それが学べるのであれば精神や肉体に多少の負荷がかかってもチャンスだと思ってなんでもやった。

結果、コースでは成績も一番だった。

卒業までに試験の合格を目指し、大学4年の秋に合格することができた。言葉だけではなく、きちんと目標も達成した。

中学校の終わりから大学卒業まで22歳の私の人生の半分近くをかけて熱を注いだ「それ」を私は職業として活かさなかった。


正しくは、活かせなかった。


燃え尽き症候群だったのもあるけれど、別に職として活かそうと思って最初から学び始めたわけではなかったのだ。

ただ、高等教育機関でそれを学びたかった。

知識として蓄えたかった。

だから就職活動のタイミングでそれを活かす選択肢が全く浮かばなかった。

就職支援課の担当の方に色々と相談に乗ってもらいながら、高校の担任が言った「お前それ将来何に活かすんだよ」という文章が頭の中で再生される。

と、同時に「別にいいじゃねーかそんなもん。私の親と私が納得して職業に活かしきれないかもしれないこの学問を学ぶことを決意したんだ。そんなに私の人生が心配なら金でもよこせ」と心の中で切った啖呵も再生される。

大学進学は全く後悔していない。

今でも私はそれが好きだし、熱量が変わったとしてもこれからもずっと好きでい続けると思う。

そもそも大学って職業訓練所なのか?

手に職付けるか、将来会社のお役に立てる何かを学ばなければならないのか?

違うでしょ。

会社のお役に立てるんじゃくて、社会のお役に立てるんだろ?

と、頭の中で捻くれた私が地団駄踏みながらぷんすか腹を立てて暴れ出す。頭痛の原因はきっとこいつだ。

もちろん、会社の役に立つことが社会の役に立つのだと分かっている。日本の企業さんたちのトップは馬鹿じゃないだろうから結果的にはそうなるように人事部を立てているだろうし。(こう言うところが捻くれている)

ただ、私は頭が硬い頑固ものだからどうしてもその順番を逆に考えられないのだ。

社会のためになるように生きたい。

もっと小さいことで言えば、誰かのためになれるように生きたい。

慈愛の精神万々歳だ。

現代のマザーテレサ上等だ。

世界のちっさい島国のIT後進地域で生きるちっさい私がただ、隣の人をちょっとだけ助けたい。

大学で学んだことを活かすのも手かもしれない。でも私は、それだけが出来る人ではなく、それも出来る人になりたかった。

欲張り過ぎるのかもしれない。

地獄みたいな会社の唯一のオアシスである昼休憩中に書き起こした文章だ。未来の私が「あの時馬鹿だったな」と思えるくらいの駄文でしかないだろう。

何かに縋りたいが、縋る場所も相手も大人になると少なくなってくる。

数少ない拠り所の一箇所でくらいわあわあ喚かせてほしい。午後は長い。あと5分もしたら職務に戻らねばならない。

今日も、大学時代頑張ったことを何も活かせない会社でバリバリ働こうではないか。

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