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親が子供の信念/観念を形作っている

買い物に行ったときの話。

夫婦がいて、その後ろに小さな子供がいた。子供は泣いている。菓子売り場だったのでお菓子が欲しかったのだろう。

お母さんが「だめよ」と言うと、子供はもっと泣き声が大きくなる。

「静かにしなさい」と語気を強めるとさらに大きな声で泣いてしまう。

子供がしばらく泣き続けていると、お母さんは買い物かごをのぞき込んで、お父さんに「牛乳を買い忘れていたわ。持ってきてくださる?」と言った。

お父さんは売り場へ向かった。そして、お母さんが子供に言った。「ほらね、あなたが泣いてばかりいるからパパはあっちに行っちゃったでしょう」、と。

お母さんはたぶん子供が叫んでいたので恥ずかしくて、静かにしてほしかったのだろう。

しかし、日常生活の中で、こうしたパターンを彼女がよく使ったとしたらどうでしょう。

たとえば、「あなたがご飯を全部食べないから、おばあちゃんが病気になっちゃったでしょう」とか。

多くの親が、子供は理解しているとは考えていないのである。しかし、そんなことはない。

親はその時、将来の子供の信念/観念を形作っているのである。

そして実際に、子供の未来で、誰かが去っていったとき、そうした信念/観念が形作られていると、そのパターンが別の状況でも使われるようになる。

相手の人が去っていってしまったときに、残されたその人は、もう既に自分の中にできている信念/観念を使ってその出来事を解釈しようとするのである。

「自分のせいだったんだ」と。そして「自分は一体何をしてしまったんだろう」と探ろうとする。

ここでもうひとつの歪曲がある。

人間関係とはフィードバックシステム、つまり、お互いが関係性の中で成立するシステムである。

英語では、「二人いないとタンゴは踊れない」と表現されることもある。

つまり、一人だけでは存在できない。人間のかかわり合いの中で存在しているのである。

だから、人は信念/観念を使って出来事の意味づけをし、理解しようとする

同じような出来事を何回経験してからそうなるかはその人によって違うが、その人が別の人と付き合うようになったとき、無意識のうちに相手の人を去らせてしまうような行動をとる可能性がある、ということである。

*本書のbeliefを信念/観念とダブル表記している。英語のbeliefにはポジティ
ブ/ネガティブの区別はなくニュートラルで、その人が信じていること、の意。日本語では「信念」にせよ「観念」にせよ、始めから言葉に強い前提が含まれている。

◆参考文献:クリスティーナ・ホール博士の言葉を変えると、人生が変わる NLPの言葉の使い方 2009 ~信念/観念と現実 より

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