理屈を理解したがる
リフレーミングとディストーション(歪曲)について。
ある一つの体験をしたとする。たとえば、ある日突然愛する人が去っていった。
そこで、意識は、なぜこういうことが起きるのかという理屈を理解したくなる。
特に初めてこうした出来事を経験したときはそうなる。まったく新しい経験であるから、どう理解してよいか分からない。
通常、起きたことに対して、人は自分の過去の経験を振り返り、なんらかの感情を抱く。
人はどうしても意味づけをしたくなる。
なにか出来事が起きたとき、何の意味もそこに与えずにそのままにしておくことができない。
というのも、意味を与えることによって、人は何かを終わらせることができるから。
意味が自分の中ではっきり分かるまでは、その人はずっと探し続ける。
そしてなんらかの意味づけができたときに、「ああ、そうか。こういうことが起きたんだな」と納得する。
通常は、過去を振り返って、同じような感情を感じた別の状況を探そうとする。
もちろんこれは意識的にやっているとは限らない。無意識の中で行われることもある。
「三歳の時に突然父は去ってしまった」と思い出したり、友達が引っ越していなくなってしまったという別の例を思い出すかもしれない。
その人がそれをどのように解釈するかによって違ってくる。
たとえば、「あれは自分のせいだったんだ。自分がなにか間違ったことをしてしまったからだ」と解釈する可能性もある。
「もし私が〇〇ということをしてさえいれば、あの人は去ってはいかなかったはずなのに」という言葉が出ることはよくあることである。
これはまさしく、歪曲が実際に行動に移された例である。
実際にその人が〇〇をやっていれぱ、それが助けになったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。まったく関係なかったかもしれない。
にもかかわらず「私がいけないんだ、私が何かいけないことをしてしまったからだ」と思ってしまう。実際に人はそう思いがちである。
◆参考文献:クリスティーナ・ホール博士の言葉を変えると、人生が変わる NLPの言葉の使い方 2009 ~信念/観念と現実 より
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