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「教えてもらうことを覚える」からの卒業

自分の学び方を見直してみる機会にしたいと思ってこのnoteを書いています。今日は、従来の「教えてもらうことを覚える」という学び方を卒業し、「自分の頭で考える」ことの重要性について、僕の経験を交えて書いてみます。

「教えてもらうことを覚える」を卒業すると、問題の在り処を自分で考え、自分の頭で答えを出そうと考えることができるようになります。

知識は伝わらない

学びについて考える時、僕がいつも読み返すのが『私たちはどう学んでいるか』という鈴木宏昭さんが書かれた本です。

この本の中に「知識は伝わらない」と書かれています。

知識は伝わらない。なぜならそれは主体が自らの持つ認知的リソース、環境の提供するリソースの中で創発するものだからだ。

先生が伝えるのは情報で、運よく生徒がそれを覚えればその生徒の記憶となる。しかしそれらは伝えられただけであり、もしそのままならば単に記憶、情報としてとどまるだけなのだ。

『私たちはどう学んでいるか』鈴木宏昭 ちくまプリマー新書

情報を教えてくれた人の知識をそのまま受け取るということはできなくて、自分の頭の中の情報を使い、その場その場で知識を生み出していく。本の中ではこれを「コト的知識観」と表現しています。この、知識は伝わらない、自分で作っていくものなんだという「コト的知識観」という考え方に基づけば、「教えられたことを覚える」だけでは使える知識は身につきませんし、自分の頭で考えることもできるようにはなりません。
学校での学びはいまだに、「正解を知っている人から答えを教えてもらい、それを覚えること」に慣れてしまいがちな構造をしていると思います。これに慣れてしまうと、問題に対して自分で考える力が衰えてしまいます。正解は誰かが持っていて、それを受け取ればいいと考えるようになるからです。

問題を提示してくる人、正解を教えてくれる人が永遠に存在してくれるということはないですし、何が正解かを明確に示してくれる人などいないはずです。
自分の頭で考えるためにも「教えられたことを覚える」から踏み出して、問題はどこにあるのか?どうやったらできるようになるか?などを自分で考えて実践していけるようになることが求められていると思います。

学びたい(学ばなきゃいけない)理由を見つけるべし

ではどうやって、自分の頭で考えられるようになるのでしょうか?これは学びたいという動機や学ばなきゃいけない理由を見つけることから出発することで、自分で情報を調べ、知識を構築していく力を養うことができると思います。

僕は研究を仕事にしていますので、普段から英語で論文を書いています。大学院生の時に論文の書き方は教わりますが、当時は論文を書く機会は限られていました。現在では、大学院生の時よりもたくさんの論文を書く機会があります。この論文を書く機会がなければ、大学院で学んだ書き方を忘れてしまったことでしょう。実際に論文を書く必要に迫られたとき、どうすれば論文をうまく書くことができるか?もっと効率よく執筆することはできないのか?参考にする論文の管理方法はどうするのが良いのか?など、執筆に関して自分の中で困ったことについて、自分で調べていくことになります。この学ぶ必要に迫られる→調べる→実践するの中で、自分の頭で考える学び方が身についていっているのではと感じています。

逆にダメな学びの例で言うと、例えば、新しい実験機械が導入されるので、当面使う予定はないんだけど一応参加しておくかと思って、使い方を教わる講習会に参加したとします。しかし、その後は実際に機械を使う機会がないので、教わった内容はすぐに忘れてしまいます。学ぶ理由がないのに覚えようとしても、使えない情報となってしまう例ですね。

「教えてもらうことを覚える」を卒業し、「自分の頭で考える」

卒業と書いているので、紛らわしいかもしれませんが、僕は、教えてもらったことを覚える必要はないと言いたいのではありません。「教えてもらったことを覚える」を目的にすることがよくないのであって、教えてもらったことを自分の頭の中のリソースとして、使っていくことで知識としていくことがとても重要です。そして得られた情報を使うためにも「学ぶ理由」を持つことが大事です。

このように「教えてもらうことを覚える」を卒業し、「自分の頭で考える」学び方に移行することは、40代の壁を越えるために必要な鍵となるかもしれません。もし知識をモノのように捉えて誰かから受け取ろうと考えていたのならば、「コト的知識観」という学び方への変化を受け入れることで、私たちは自らの問題を解決し、新しい知識を創造する力を身につけることができるはずです。

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