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前史となるカメラたち

【自分史の切片としてのカメラ機材 #1
趣味は?と尋ねられても、即座に写真とかカメラとは答えにくい。美しい写真、面白い写真、楽しい写真、うまい写真を撮っているという自信がないからだ。
写真歴は長い。いつから数えればいいかわからないが、子どもの頃に玩具のようなカメラを買ってもらった。スタート35というカメラ。ボルタ判といういまはないサイズのフィルムを使う。晩年の祖父を撮影したボルタ判密着焼きのプリントが残っている。祖父は1958年1月に鬼籍に入っているから、買ってもらったのは小学生低学年の頃とわかる。このカメラは現在手もとにない。子どもが小さい頃、興味があるかと期待して渡したら、裏側からシャッターに指をつっこんで壊してしまった。

1971年に死んだ父親もカメラが好きだったようだが、マニアではなかった。マニアになるとか趣味にするには、当時のカメラは父の収入には高すぎた。しかし、カメラは好きだったのだろう。2台の中判カメラを持っていた。1台が何だったかは忘れたが、故障していた。父が亡くなった後、私が捨てた。もう一台がいま手もとにある。

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ZEISS IKONTA 520/16。1950~60年代に購入したものだろう。手に入れたときに父親が嬉しそうにしていたような、かすかなかすかな記憶がある。
レンズはTessarではなくて、普及版のNOVAR ANASTIGMATなのが少々残念な気がするが、蛇腹に光線漏れもないし、一度もオーバーホールしていないにもかかわらずちゃんと写る。露出は単体露出計やスマホを使えばなんとかなるが、距離は目測で決めなければならないので少々心もとない。フィート表示の単体距離計もあったのだが、窓が曇って使いものにならなくなったので何十年か前に捨ててしまった。修理も可能だったろうにと、いまとなって惜しい気がしないでもない。
古くはあるがツアイスイコンタは「いい機械」だと思う。

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オリンパスペンFT。これも父親のカメラだ。本当は35mm版の一眼レフがほしかったようで、銭湯の帰り道、しばしば質流れ屋(当時はそのようなセコハン屋があった)のウインドウを眺めていた。ペトリV6を買う寸前までいったのだが、いざ決心をしたときには売れてしまっていたのだったか。手に入れたのはハーフサイズのこれになった。もちろん中古。たぶんフィルム代が節約できるからだろう。1960年代の後半のことと思う。
15年ほど前のことだが、仕事上で懇意にしていたメーカーの社員の方から「やるなら技術者がまだ工場にいる、いまですよ」と教えていただいてオーバーホールしてもらった。だから機械は快調なのだが、その後ミラーがはがれるという事故が発生した。FTは一般的なペンタプリズムではなく、ミラーを使っている。一瞬慌てたが、セメダインで貼りつけたら直ってしまった。その後はがれる兆候はない。

これらのカメラは、父の存命中にも使っていたし、写真への興味も持ち続けてはいたのだが、写真部に入るほど熱心でもなかった。自分でカメラを買ったのは、社会人になってからのことだ。
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