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あの時、私は知っていたように思う。

学歴コンプレックス、努力の才能を開花できなかったこと。
これは自分には無関係な悩みだと思っていました。

親切な大人が「勉強しときなよ」って教えてくれていました。
「もうやってる!一生懸命!」と反論しながら覚えた違和感。
この時、何か黒くて粘着っぽい感覚がべったりと脳みそにこびりつきました。

多分私は知っていたんだと思います。
学歴コンプレックスは自分に降りかかる。
いつか、この「黒いべったり」は立派な劣等感になって、一生の連れ合いになるだろうと。

***

高校は、いけるレベルの中から校風の良さげな私立高校へ。
試験は推薦だったのでちょろいもんです。
部活で、よき仲間にチヤホヤと甘やかしてもらって成果を上げ、大学への推薦を得ました。

高校入試も大学入試も、何の障害もありませんでした。
推薦入試は、面接に依るところが大きく、私は第一印象の操作が上手かったのです。

推薦入試で進学することを決めたのは、自分は「高学歴」の為に努力するのは無理だ。と早々に気づいていたからです。
なにがしかの努力なら…大学に入った後に人並みにできるだろう、と根拠もなく自分と環境に期待していました。

***

キャンパスライフは思っていたのと違いました。
広大なキャンパスも、芝生の庭も、連なる学び舎も、蔵書の宝庫もない。
そして大学に入っても努力することも、ありませんでした。

近隣の偏差値の高い大学の学生と交流すると浮かび上がってくる、「黒いべったり」は遅れてやってきた思春期だろうかな、くらいのもんでした。

その後も、その場しのぎのがんばりを積み重ねていくのですが、
就職活動が始まると、そんなのは何の足しにもならないことだったと愕然としたのです。

***

社会人になって様々な人と出会いました。
すべき時にすべきことをした人
今、あたらめて努力する人
ずっと努力している人
すきなこと得意なことを見つけ、突き進んでいる人

過去の努力が今に活き、優雅に生きている人に出会う度に私の中の「黒いべったり」が増長し続けて、やっと気づきました。
あの時の私が感じたことは正しかった!!!!
不努力と学歴が結びついて、立派な劣等感に育った!!!!

どこかで断ち切らないと。と思うから勉強のやり直しなんかをしていますが
これがまた骨が折れる・・・壮大な二度手間に他なりません。
しかもゴールがない。(劣等感はいつも最強)

マンガで「努力は才能」なんて読みましたが、その意味を実感をもって知ったのでした。



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