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noteを書く、ことの意味

初めまして、木南のほ、と申します。
初めてのnote投稿。
投稿するって、人の目を意識してのことですので
「いち素人がなぜここに至ったか」について、思いのたけを語るのがよろしいのでは、と思います。


流行に疎い私でも、noteは、見たことはあったんです。Twitterとかで。
その時は、「ブログのような記事が、お金を払う価値のあるものに設定されている」ことに驚いて、ちょっと購入の勇気は持てなくて、そのまま閉じてしまいました。

しかし最近、手帳術や(紙の)ノートのことと勘違いしてKindleに入れていた本が、この”note"について解説したもので、正しく知って驚きました。
クリエイターへの優しさ満ち満ち、とな?
ひとりぽっちで綴る、のみならず、
外へ繋がっていくような仕組みができている、とな??

アウトプットって一方通行、と思っていたけれど私って随分時代遅れな考えをしていたんだなぁと思いました。


学生時代、多くの時間を創作に割きました。
自分に都合のいいことばかり想像しがちな妄想家で、”ご都合主義”連発でした。困ったときは禁断の”夢オチ”とか。

その時は、部活動という「許された環境での」アウトプットに安心できたし、仲間とのつながりも感じていました。

その青く、楽しい時期が過ぎてしまうと、自分の創作物が「未完成なもの」という強烈な劣等感を覚えました。どうにも思考の浅さや、幼さを感じて恥ずかしくて、筆が止まり始めます。「文章を書くのが得意」と思っていたのは勘違いだった、と思い始めたが最後、書けなくなりました。

でも、作ることがしたくて手芸店でバイトしたり、絵心ないのを承知でバレットジャーナルやってみようとしたり、延々洋画を見て心を動かしてくれるものとの出会いを期待したり。
気づけば、見る専門・聞く専門、いつも受け取る側になっていました。自分から出ていくものがないから、日常会話もちょっとヘタクソになってきた気がしています。

そんな時にnoteの書籍にたどり着き、「なんでもやってみていいよ」と無料・有料の枠まで作って待ち構えてくれる場があることを知りました。

今の私は、日々の悩みや劣等感で頭いっぱいです。
かつての自分は、書くことで人や事柄と繋がりを持ち、輝いていたように感じます。

だから、それを再開したい。自分のことだけじゃなくて、世間に目を向けていきたい。今すでに書きたいと思ってることは、てんでばらばらで統一性もない。でもやってみたい。

そんな思いを持ちながら、一歩エイヤッと踏み出す初投稿なのです。
これで、約1,000文字だそうです。書くのに1.5時間もかかりました。
ぼちぼちやっていきたいと思います。

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