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バリ島グリーンスクール日記7日目。電柱をめぐる本音と建前

バリ島のグリーンスクールという学校に子どもを通わせたくて、赤ちゃん連れでバリに移住をした。

グリーンスクールとはどんな学校なのか?
英語の話せない小学1年生の息子はどうなっていくのか?
赤ちゃん連れの母子移住はどんな生活なのか?

この冒険をいつか老後にゆっくり振り返れるよう、日記を綴ることにする。でも、欲を言えば、いつか海外でこどもを、と考えてるママさんパパさんの背中を少しでも押すものになれば、とも思っている。

そして、さらにもっと欲を言えば、地球をこれ以上汚したくないサスティナブルな生活に興味をもつ人の目にとまるものになればな、なんて思ってもいる。

わたしの仲間探しの冒険は始まったばかりだ。

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8月8日に学校が始まって、今日でちょうど1週間。

8時10分の始業に向けて、7時30分に息子を起こそうとしていたら、10ヶ月になる下の子が先に起きてわたしを呼んだ。あぶな。1mくらいあるベッドから落ちなくてよかった。

上の子を叩き起こして、学校の準備と朝ごはんの支度をさせる。学校への持ち物は、リュック、水筒、帽子、スナック、着替え。そして、ビーサンを履いていくならスニーカー。

つい3週間前まで、息子は教科書と筆箱と上履きの入った重いランドセルを背負って日本の小学校に通っていた。どっちの後ろ姿が本当の彼なのか。この生活は、実は夢なんじゃないかと思うときがたまにある。

息子をダイニングテーブルに座らせ、姉に電話をかける。夏休み中の甥と姪と話すためだ。

息子は、従兄弟にレゴを見せてとねだる。グリーンスクールの小学校の教室には、すごくカラフルなレゴがある。どうやらそれで息子の中のレゴ欲が再燃しているようだ。

一通り従兄弟とおもちゃの話で盛り上がったあと、次はお父さんに電話をかける。

お父さんとは朝と夜に電話をする。もしかしたら、日本にいたときよりも長くお父さんと話をしているかもしれない。でも、こうやって父親と離れた生活がこどもにどういう影響を及ぼすのか。計り知れない不安はずっと心の中にあっていっときも消えることはない。

お父さんと電話していて、あれよという間に出かける時間になった。学校はおうちから車で5.6分くらいのところにある。校門の前で息子を降ろして、じゃあねと声をかける。本当はクラスルームまで親が連れて行かないといけないのだけど。息子はきっと強くなる。

わたしはのんびり駐車場に車をとめて、一足遅れて学校へ。学校では、たくさんの保護者たちがコーヒーを飲んだり朝ごはんを食べながらおしゃべりをしている。45ヶ国から集まった家族たち。わたしは英語がまだまだへたくそなのでひたすら頷くだけだけど、彼らと一緒にいるとまったく飽きることはない。

グリーンスクールの保護者の中には、朝からピックアップの15時までずっと学校にいる人もいる。カフェや仕事ができるコワーキングスペースもある。そして、学校のツアーは毎日。まさしく、ひらけた学校。混ざっている学校だ。

わたしは学校で2時間くらいおしゃべりをしてから、学校のATMで家賃をおろして家に帰った。

贅沢なことに、家のお掃除はヘルパーさんがやってくれる。ヘルパーさんを雇うのが今のおうちを借りる条件となっているのだ。

バリのおうちは本当に手がかかる。特に学校のまわりは田舎で、ほぼジャングルの中におうちがあるといっても過言ではない。掃除を頻繁にしないと枯れたお花や草でキッチンや玄関はすぐに汚れるし、お家の中もすぐにアリの通り道になってしまう。

おうちで昼ごはんを食べ、下の子と遊んで、勉強や仕事をして、そして夜ご飯を作る。今日の夜ご飯はシャケのバター焼きだ。

14時半に家を出て、息子を迎えにいく。道の途中にココナッツが落ちていたので、車から降りて道の脇にどかす。道すがらには、車にひかれたのだろうか、犬の死体も転がっている。

15時すぎまで学校で保護者でおしゃべり。赤ちゃん連れということもあり、話題には困らない。赤ちゃんはバリ人にも保護者にも大人気だ。

15時から17時までは、息子は校内の好きな場所で遊ぶ。アフタースクールなどのアクティビティは子ども向けから大人向けまで、30個くらいある。サッカークラブやバスケットボールクラ部は人気がありそうだ。

息子は、学校から帰ってきたらごはんを食べて、シャワーを浴びて、レゴで遊んで、本を読んで。そして8時半に寝る。 日本で過ごしていたときとの決定的な違いは、テレビがないことだ。

日本では、わたしも息子もテレビを見ない日はなかった。朝はニュース、帰ってきたらNetflixやドラマ。お父さんも息子も根っからのテレビっ子だ。なので、息子の心の安定を言い訳に、こっちに来て二日目にテレビを電気屋さんで買った。

ところがだ。学校はどローカルにある。前の住人が宇宙人と交信できそうなほど大きいアンテナを屋根につけていたので、インターネットは使えるだろうとタカをくくっていたのだけど、その予想はは見事に外れた。そのアンテナの会社は潰れてしまったらしい。

そして、今のおうちに光ファイバーを引くためには、電柱を何本か立てないといけないようだ。

インターネットが繋がらないと、ケーブルテレビが見れない。わたしも息子もまだインドネシア語のテレビは見たくない。なので、我が家ではテレビをまだ接続していないのだ。

息子に、色々質問をしてみた。

Q.学校楽しい?今日は何したの?
A.楽しいよ。みんな何言ってるか全然わからないけど、名前をあてるゲームとかしたよ。

Q.日本の学校とどっちがいい?
A.えー悩むなぁ。グリーンスクールのアスレチックと芝生の運動場は最高だからなぁ。でも、日本ではテレビが見れるから、日本がいい!日本に帰りたい!

わたしは、息子がテレビを理由に日本に帰りたいと言うたびに、「じゃあ、お祈りしよう!電柱が早く経ちますように!」と言っている。

心の中では、このまま永遠に立ちませんようにと祈りながら。

日本で共働きしていたときは、テレビは戦友だった。夜ご飯を作りたいとき。仕事をしたいとき。テレビを見せていたら子どもは大人しい。

NHKなら教育に悪くないはず。ポケモンくらいなら見せてもいいかな。そう思いながら、心の中の後ろめたさや申し訳なさをひた隠しにしていた。夢中でテレビを見ている子どもの表情を見て、なんだかいいことをしてあげてる、と自分に言い聞かしていた。

テレビがなくても、こどもは好きなことを見つけて集中して静かにしている。テレビがないと息子は生きていけないんじゃないか、なんて思っていた自分を心から恥ずかしく思う。

子どもの環境作りをサボっていたのは、旦那くんのせいでもなく、仕事のせいでもなく、自分のせいだ。そして、子どものことをもっともっと信じていいのだ。

テレビ無し生活がしたかったら、バリ島に住むのをオススメする。いや、バリ島に来なくても、ある日突然電柱が壊れてねって子どもに言ってみてもいいかもしれない。

あ、でも、最近もう電柱って日本では立たないんだっけ??

子どもを信じようとがんばるママさんとパパさんに、心からのエールをこめて。