“耳から学ぶ” と深く記憶される?
わたし、生まれついての物書き属性です。
知りたいことや学びたいことがあると、まず本を探して読むことから始めます。あるいは今なら、ネットで関連記事を探します。
どっちにしても「書かれた文章を読む」というインプットが最初に来ます。
もうこれは、習性と言うか本能に近い反応なのかも。
でも最近はさすがに、YouTubeや音声配信もチェックしています。
内容やジャンルにもよるけれど、文字で読むよりも話を聞く方がより良く理解できるモノがあるんですよね。
たとえそれが「すでに知っていること」だったとしても、他者を通して耳から入ってくる音声として受け取るというのは、本を読むのとは異なる感覚をもたらします。
自分の身体の外側から音声として体内に入ってくることによって、すでに自分の中に存在している知識や認識、イメージ、パラダイムなどが追体験され、再認識されて、意識の奥へ奥へと、さらに深く落とし込まれていく、そんな体感が起きるんです。
(どこかデジャブ―に似たような感覚)
視覚を通して入ってくる文字情報は、言語や論理イメージとして取り込まれます。一方、人の声・音声は、聴覚と言う、視覚よりも「身体感覚」の強い情報イメージとして、総体(まるごとのイメージ、感覚)的に受け止められ、意識に深く刻まれるようです。
例えが悪いかもしれませんが、洗脳は通常「声」を用いて行われますよね。
身近な人から日常的に繰り返し繰り返し、否定的な言葉を浴びせられ続けると、その人の深層意識に、その言葉が刷り込まれてしまいます。
どうやら音声としての言葉には、文字とは違った特有の力があるようです。
だから、たとえ自分がすでに(頭で)知っている・分かっていることであっても、それを改めて、他者を通して「音声」として受け取ることで、「新たな気づき」や「深い認識」がもたらされるのでしょう。
そこで、おっ!と気づいたんです。
「知る」「学ぶ」と言うのは、「まだ知らないこと」だけが対象ではない、ということです。
すでに知っている事柄からでも、学びは深まるし、知識は広がるのですね。
こうして私がここに書いていることも「そんなこと、とっくに知ってるよ!」という方も当然いらっしゃることでしょう。
でも、他者としての私の言葉を通して目にしたとき、もしかすると、自分とは違う言葉の響きを感じて、そこから新たな気づきが生まれるかもしれませんよ(笑)
毎日noteを書いていると、書くネタに困るという人は多いと思います。
何を書いても、それはもう多くの人が知っていることだったりします。
誰も知り得ていない知識なんて、そんなに簡単に見つけられるものではないでしょう。
でも、たとえ多くの人が知っているかもしれないことであっても、それを自分が自分の言葉で外に向けて発信することで、誰かに何かをもたらすことができるかもしれない。
その人の新しい気づきの手助けになるかもしれないし、ささやかであるけれど社会貢献になるかもしれない。
そんな気持ちでこれからも気負わずに発信して行きます。
それに加えて、「声」には文字とは違った伝達パワーがあるようなので、これからは音声配信も併用していこうかなと計画中です。
声には声でなければ伝えられない情報がありますからね。
それを使わないのは、やっぱりもったいないなあ、と。
* * *
と言うわけではないのですが、たまたまこんな機会を頂きました。
来週22日(土) 9:00~9:30に再放送あります。
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