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言葉のトリセツ

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言葉とは意識であり、世界を捉えるためのツールです。 言葉は深く無意識に根差しています。 たった一言で人を死に追いやることもできれば、地獄のような状況の中にある人に希望の光を与える…
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#コラム

前提を合わせないと会話は永久に噛み合わないよっていう話

話が噛み合わない、とか。 なぜか言葉が行違う、とか。 そういうことが起きる原因って何でしょう? もちろん、そこにはいろいろな要素が考えられるわけなんですが、大きな括りとしては、この二つの視点かな、と思います。 ひとつは、コトバの中身。 そして、もうひとつは、コトバの前提。 中身(内容)は言うまでもないですね。 たいていの場合、多くの人は、ここに問題があるから話が行違うと考えると思います。 でも実際には、もう一つの要素である「コトバの前提」の不一致が齟齬の最大の原因に

「断る」というストレス……

断ることにはストレスがかかる! 先日アップしたこの記事に対して、そうコメントを寄せてくれた友人がいました。 特定の質問の仕方をされると、ついうっかり反応してしまって、その結果、意に反して断りにくい状況が生まれてしまう。 そんなお話を書いたのですが、断ることは気が重いと感じているのは、私だけではなかったようです。   いろんなnoterさんが、誘うこと、断ることについて、それぞれの思いを書いていらっしゃいます。 こちらの記事の中に出て来る「約束にもクーリングオフ期間が必

ヒトは、空想し、想像し、創造する生き物なのだ

はじめに言葉ありき   新約聖書「マタイの福音書」にある言葉だそうです。 キリスト教徒ではない人の間でも、今ではあまりに有名なフレーズですね。 スピリチュアル系・アファメーション系種族、あるいはゴール至上主義種族、それからクラウド情報発信種族の間では、このフレーズはほとんど、お題目になっている感がありますね。 かく言うわたしもクラウド情報発信種族ではありますが、それ以前に物書き族。文字通り「ことば」だけを使って、心的・内的世界を書き綴ってきた種族です。 だから、ことば

テン「、」か、コンマ「,」か? 読点の謎を調べてみたら…

「日本語の書き方がわからないんです!」 わたしがよく受ける相談事のひとつがこれです。 (大人のための文章教室をやってます) たとえば、ヨコ書きのときは読点は点「、」なのか? はたまた、コンマ「,」なのか?   テン「、」か、コンマ「,」か?◆句読点の謎 え? そんなこと?って思います? でも、よ~く考え始めると、あれれ……ってなりませんか? 結論から言っちゃいますと―― どっちだっていい!(笑) 全然答えになってませんけど、ほんとこれなんですよ。   肝心なのは、

カタカナ言葉はちょっと面倒なのです~続き

昨日ボウリング大会で遊んだという話のついでに、外来語のカタカナ表記あるある話を書いてみました。 実はわたしもずっと「ボーリング」と書いていた一人です (^^ゞ この記事にnote仲間のおじぞうさんからこんなコメントを頂いたのです。 おじぞうさんはメタバースの道案内活動をしていらっしゃいます。 外来語カタカナあるある、まさに、これ!です。 言葉を大事に扱う人ほど悩んでしまうポイントなんですよ。   「カタカナ言葉はちょっと面倒なのです~続き」◆カタカタ言葉が厄介な理由

ボーリング? ボウリング? カタカナ言葉は時々ちょっと面倒なのです

お天気イマイチの秋の連休に、大人のボウリング大会で遊んできました。 自由が丘にある音楽バーつながりの、似たようなお年頃の仲間です。   さて、ボウリングと言えばご存じの通り、15本のピンを倒して数を競う遊び。並んだピンに向けて投げる(ころがす)のは、重たいボールです。 だからだと思うんですよね。 ついつい「ボーリング」と綴ってしまう。 やりませんか、これ? でも、正しい表記は「ボウリング」です。 言葉にこだわり、文章にこだわる物書き種族のわたしも、これはウッカリしてい

サイバー空間に棲息するからといって実体化してないわけじゃない~ある物書きのつぶやき

言葉を書く。 紙と言う物質があり、インクと言う物質があって、肉体を動かし、脳内に蠢く概念をコトバとして書き記す。 これはこれは立派な「具現化」行為。 でも――書き記す場がサイバー空間になったとたんに、実体が薄れてしまう。それは仕方がないことなのだろうとは思う。 ディスプレイ上に表示される文字(という画像)は、言ってみれば幻影のようなもの。 そこにあるように見えても、実体はない。 紙に書いたものなら確かな手触りがあり、重さがあり、厚みがある。 経年劣化して色も変化する