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令和時代にこそ「新しい昭和」を。思考停止でも"幸せ"だった昭和時代を振り返る

何かとお世話になったりならなかったりしている福岡のベンチャー企業「コウダプロ」さん。そのエキセントリックな社風は福岡の、いや日本のどの企業を探しても、僕の知る限りは存在しません。

会社に憲法が存在する

毎週月曜日に朝礼を3時間やっている

社内に工作員がいる(たぶん)

社内に裁判制度が用意されている

人を採用するときは必ず「飲み面接」をやっている

などなど、一般企業にお勤めの方々から見たら、通常はドン引きすること請け合いです。

そんなコウダプロさんから今回、「第三者の視点から、コウダプロを紹介してもらえないか」という依頼があり、代表である幸田社長にインタビューを敢行、なかなかのボリュームあふれる記事に仕上がりました。

6000字を超えているので、お時間あるときに読んでいただけると。スキマ時間で読むと、途中が気になってしょうがなくなるはず。というか、これを読まないと、先を読んでも「なんのこっちゃ?」なので、記事を3本読む感覚で臨んでいただけいるとこれ幸い。

上記noteは幸田社長の頭の中を言語化し、コウダプロが掲げ提唱する「新しい昭和」を社内外に向けて上手に発信する一助になったと思います。うん。我ながら今回も良い仕事をした。

今回はこの取材後記として、生まれてから10年ほど体験した昭和という時代を僕なりの視点で考証し、「新しい昭和」に賛同する理由を綴ります。


コロナ禍が始まった2020年春。日常生活の強制的なリセット。

「家から出るな!」「マスクしろ!」「思いやりをもて!」

東京の街は廃墟もどきになった。1度目の緊急事態宣言。その前月に志村けんさんが亡くなり、コロナに対する日本人の意識が強烈に変わっていた。

コロナになったら死ぬ、コロナになった奴は誰が何というと悪。だから、外出は悪。

でも、外出はしていた。理由は近所のコンビニ・スーパーに行く、生放送の作家作業ため週2回ラジオ局に行く。

ラジオ局は朝4時前に現場入りし、7時半には自宅に戻る。行きはコロナ禍前でも人とすれ違わない。

でも、帰りは違った。ラジオ局から自宅までは自転車で15分ほど。普段なら通勤・通学に向かう人たちと逆ルートを走りながら人波を眺めていたけど、すれ違う人はほんの数人。

外にいることが、なにかの容疑なんじゃないかと思うほどだった。勝どきの自宅に戻るたび、「この生活はいったいいつまで続くんだろう」とテレビ・新聞を見返してはメンタルが削られていった。

仕事柄、リサーチは日常生活に溶け込んでいる。コロナ禍はいったいいつ終わるのか。過去のパンデミックを調べてみると、約100年前のスペイン風邪の記述にたどり着いた。

どうも収束までは3年近くかかっている。当時はテレビがなかったので、情報の伝播は違うからまぁなんだかんだいって4年はかからないのではないか。パンデミックを「戦争状態」としたとき、「先の戦争」は3年8か月続いた。

「よし、とりあえず3年8か月はなんとか知恵を絞って考えて、思考を深めていこう」

2020年6月頃には、そんなことをぼんやり考えながら仕事をしていた。

当時を振り返ってみると、日本という国の素晴らしさと滑稽さが混在していて笑える。

思考停止と同調圧力


木村的コロナ禍流行語の両横綱だ。

「マスクを着用しましょう!!!」と言われれば何も考えないで、つける。

「思いやりのためワクチンを打ちましょう!!!と言われれば、何も考えないで、体内にワクチンを入れる。

「いや、マジで殆どの日本人って何も考えないで受け身で、思考停止で生きてるじゃん」

誰かに言われたから、やる。誰かがやっているから、やる。

みんなが言うから、やる。みんながやっているから、やる。

「リモートワーク推奨!!!」慣れないZoom。できない画面共有。上司退出まで部下退出できずの残念マナー。

マスク越しの日本人の表情がどんどん曇っていく。明るい話題禁止。笑顔の奴なんかムカつく。東日本大震災のときもそうだったな。

足の引っ張り合い。叩けば満たされるストレス。そんなストレス、オナニーで解消しろってんだクソが。

なんでもかんでも教えてください。正解が知りたいです。成功事例が知りたいです。失敗はしたくありません。Yahoo!ニュースには溢れる「正解知りたいです記事」。正解って何?安心材料がほしいの?

2022年春。僕は野外でのマスク着用をやめた。施設や公共機関だと面と向かって「マスクつけてください」と言われるから、「うっせー。この思考停止が」と思いながらも、「まぁ、この人たちだって立場的なことがあるからしゃーない」と自分を納得させていた。

それから数ヶ月後には建物内のマスクもやめた。金髪で184.5センチもあるガタイのいい男性に面と向かって「マスクしろよ!」という根性のあるジジイはいないだろうと、刺さる視線は全く気にしなくなった。

重症化も殆どない状態で、思考停止連中が「志村けんが死んだ」ままの恐怖感、もしくは「みんながそうだから」の感覚でコロナ禍を過ごしているのを見て、滑稽だなぁとせせら笑う日々だった。

コロナ禍は終わりました。ここでいう終わったは「5類移行」。

1回目の緊急事態宣言は2020年4月7日。5類移行は2023年5月8日。


3年1ヶ月。先の戦争よりは7ヶ月短かった。


不安ばかりの毎日を送っていたあなた。不安は解消されましたか?

解消されませんよね。あなたは何も考えていない。「考える」ってどういう状態かわかりますか?

考える前には知識がいります。本を読みましょう。その知識はアウトプットという形で出し切りましょう。人に話しましょう。noteに投稿してもいいでしょう。アウトプットありきのインプットが大切です。

知識と知識を掛けあわせて、初めて考える素地が生まれます。そこから考える作業が始まります。

僕は、私は、どうしたい?どう在りたい?どうなっていたい?

考えるの、めちゃくちゃしんどくないですか?しんどいですよね。誰かのせい、世間のせい、なにかのせいにしてきた人生から、自分のせいにする人生を歩もうとしている。それが「生きてる!」とう人生を歩むためのファーストステップなんです。


コロナ禍を経て、みなさんはどんな変化があったでしょうか?

戦後の奇跡な経済復活を遂げた日本を生き抜いた昭和時代の人々は、ほぼゼロの状態から団結して日本に活力を与えました。世界でも例を見ない事例です。これを成し遂げたのはまさに団結の力です。

でも、令和の豊かに時代になって、余裕が生まれて、価値観形成も多様になってきた。SNSの発展で誰もが情報を発信し、誰もがメディアになった時代、一体誰の何を信じていけばいいのか。不安は募るばかり。

そんな世の中だからこそ、昭和の価値観をアップデートさせた「新しい昭和」が求められている。

おせっかいをベースにした相互承認、尊重、対話、そして団結。

自分ばかりの意見を押しつけず、人の話をきちんと聞く。議論・ディスカッションはそれから。

今回のインタビューを通じてあらためて、「自律とは?考えるとは?」を考えるキッカケをいただいたきむ兄でした。

コウダプロのみなさま、ありがとうございました!




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