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自分自身を堕落者とわかっている人こそ、物事は継続するというロジック

「きみくんは努力家だし、すごくストイックだよね。きみくんみたいな人、なかなか出会ったことないよ」

こんな言葉を数年に一度、投げかけられる。

誰に?かつて、僕と交際していた女性、もしくは両想いになり、関係を持った女性に、だ。

パートナーになった、もしくはパートナーになる前に自分の考えや価値観を共有する。僕の一日の行動や生活パターンを知っていくうちに、女性側から「努力家」「ストイック」という言葉を頂戴するのだ。30代後半になってから特に言われるようになった。

そんな言葉をいただいたとき、僕はいつも戸惑いの感情が生まれる。「そもそも努力ってなんなんだろう」と。

辞書で意味を調べてみる。

力をこめて事をすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。また、それに用いる力。


精選版 日本国語大辞典より

解説文だけで見ると、めちゃくちゃすごい人やん。僕を最も理解している、しようとしてくれているパートナーにこんなふうに見られていたとは。

だけど、冗談でもなんでもなく、僕は努力家でもストイックでもない。もっと努力をしている人を知っているし、ストイックな生活をしている人も知っている。その方々に比べたら、自分の努力など足元にも及ばない。本気でそう思っている。

でも、30代後半になってから「努力の道」を間違えないようになったなとは思う。それまでは努力が報われないというか、心血注いできたことに結果がついてこず、自己嫌悪や他己責任の思考になっていた自分がいた。

そんな自分に嫌気が差して、「夢をかなえるゾウ」といった自己啓発本を読み漁って、なりたい自分になるための手段も知ったけど、日々の仕事に追われて「自分には合わないな」とかなんとか言って、実際の行動には移さなかった。

このときは努力の方向を間違っていた。自己啓発本を読めばなんかステップできるんじゃないかという期待感からひたすら読みあさっていた。結果、こうした本には何の果実もなく、食パンに塗られたいちごジャムくらいの甘さだけが本棚に染みついていた。

日本という国は、努力しなくても、ストイックに生きなくても、ダラダラ暮らして生きていきる環境がバッチリ整っている。食欲も性欲も満たすコストは激減しているから、別に努力しようがしまいが、それなりに楽しくて幸せな人生は歩んでいける。ここ10年でITとDXによってさらに環境は整った。

そんな時代だからこそ「努力」の価値が相対的に上がっているのだろう。だって努力という行為は自らが手を動かすアナログそのものだからだ。ITとDXが進化しても、人間が元々持っている現状維持性能が変化するわけでもない。

「変わりたい!!!!!」という強烈な意識を持つことが、変わる一歩となる。だけど、人間なんてしょせん、堕落の極みの生き物だ。自分が努力できているなんて絶対に思わないほうがいい。

変えるのは環境だ。


かつて、2年前、8ヶ月で20キロを落としたとき、参考にした本は「冷蔵庫の調味料で●●と●●以外は全部捨てろ!」と書かれていた。僕は素直に実践し、翌日のゴミとして出した。そこから最初の2週間は体重が落ちなかったが、その後は面白いように体重が落ちていった。

食べていい食材、食べてはいけない食材、本に書かれていたレシピを元にご飯を作り、食べ続けた。停滞時期もあったけど、99キロから79キロに落としたとき、アプリに記録し続けた体重グラフを眺めて、また1つ自信につながった。

僕は太っている自分にすごくコンプレックスがあるので、「変わりたい!!!!!」の欲求がすごかったのだ。だからこそ、本にしたがって愚直に行動した。その結果だと思っている。

現在進行形の肉体改造も「変わりたい!!!!!」の欲求が高まったから、始めた。筋トレをしてさらなる自信をつけたくなったのだ。「見た目が変わると、人はどれだけリアクションが変わるのか?」というバラエティー番組さながらの実証実験をしたくなって、フィットネスジムではなくリアルガチ勢の会員ばかりのウェイトトレーニング専門ジムに入会した。

入会からそろそろ3ヶ月が経つが、ちょっとずつ腕まわりと肩まわりの形が変わってきた。週に4〜5日、90分ほど取ってトレーニングして、食事をタンパク質中心に据えれば(これはダイエット時からそうだったけど)45歳の体でも変化が生まれるんだと自信になった。

「これだけジムに行けてすごいですね」という声も聞こえてくるだろう。

しかし、僕は怠け者なので、環境を整えることに注力しているにすぎない。自宅から20分、契約しているコワーキングスペースからは徒歩5分。福岡というコンパクトシティーな作りに救われている。

失敗事例。東京にいたとき、ジム通いしていたことがあった。ジムの場所は東武練馬駅徒歩数分。自宅は埼玉県朝霞市。職場は新橋。振り返ってみると、この環境では続くわけもなかった。

仕事が休みの日、わざわざ朝霞から東武練馬に東武東上線に乗っていくのが面倒くさくて「やっぱやめた」とサボったこともあったし、平日仕事帰りに行くときもウェアを持って行く必要があり、荷物がかさばるなと思って持っていくのをやめた日もあった。

こうしてジムから足が遠のき、月会費だけを払う状況が何ヶ月か続いたので、やめた。当時のパートナーからは「ほれみたことか」とネチネチ言われ、自信と自己肯定感が下がった。

人は環境に流されやすい。自分を律する環境を設定しないと、すぐにだらけてしまう。

筋トレを始める前に設定した目標は「筋トレが楽しくなるまでは頑張る」だった。

楽しくなるためには、目に見える成果が必要だと思った。インストラクターさんに相談し、最初の1か月は基礎的なトレーニングをやり、そこから目に見えて変化が出る上半身部分のトレーニングに重点を置いた。

つい先日、ひとりのインストラクターさんがめっちゃ笑顔で「木村さん、フォームがずいぶんと綺麗になりましたね」「(私の腕と肩を触って)腕と肩がちょっとずつ変わっていますよ。頑張りましたね!」と言ってくれて、めちゃくちゃ嬉しかった。こうした環境に身を置いて、継続できる仕組みを作れたことが成果につながっている。「努力の道」が正しかったのだ。

じゃあ、これで僕が努力家なのかと言われると、違う。継続できる環境に身を置くための戦略がうまくいったに過ぎない。

つまりは戦略なのだ。

ジムもダイエットも、勉強も仕事も、継続してパフォーマンスを出せる環境を作り続けないといけない。そのためには戦略が練る必要がある。

東京時代、最後に住んでいたのは築地・勝どきだった。テレビ局・ラジオ局からギリギリ徒歩圏内でいける場所に住んだ。家賃はそれなりに高かったけど、電車に乗る時間を少しでも減らさないと、パフォーマンスが上がらないことを10年近くの埼玉生活で身をもって知った僕は、東京に戻るときになるべく現場に近い住環境を探した。これも戦略だ。

このnoteもそうだ。公開4時間前のスケジュールを全てブロックし、カフェで執筆をしている。どうしても予定が入ってしまう場合は前日のどこか4時間をブロックし、執筆の時間に充てる。インスピレーション型でばばっと書いてしまうタイプではなく、〆切に対して「さーて、どうしよっかな」と追い込まれながら書くタイプ。タイトルやメモ書きのストックはあるが、それまでは手をつけない。

今この瞬間に考える環境を作っていく。また環境を変えるかもしれないが、とりあえず半年はこの感じで回した。自分で週2回〆切を決めて書き続けること自体に苦はないが、ほかのSNSと組み合わせたクオリティーチェックの検証が必要だろう。

ダイエットも筋トレもビジネスも、なんとなく始めてもうまくいくわけがない。ゴールと手段を決めて、環境を作って粛々と動いていく。それができていない人がいかに多いか。

8月から、ある企業のカスタマーサクセスの業務に携わっている。ランディングページなどを作った個人ユーザーの困りごとを解決する仕事。サービスの使い方から集客の相談まで。話を聞いてみると、きちんと戦略を立てている人はほとんどいない。

いきなり戦略を立てなさいというのは無理があるけど、戦略が必要なんだよと言うことくらいはわかってほしいと思う。

戦略づくりが環境づくりになる。その環境に身を置いてご飯を食べるかのように習慣化をする。その習慣をやらないと気持ち悪くなるくらいまでの習慣になれば、最強です。

人間は怠け者です。あなたも、私も、みんな怠け者です。

怠け者同士、精進しましょう。




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また、2023年5月分から投げ銭記事にしました。私が好きな缶コーヒー1本をあげてもいいよという心優しい方の投げ銭もお待ちしております!

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