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大きく変質する米国司法について。

米国の司法で常に争点として避けて通れないテーマの一つがAbortion(人工妊娠中絶)の問題であろう。12月1日にワシントンDCの連邦最高裁で、ミシシッピ州が2018年に制定した妊娠15週以降の人工妊娠中絶を禁じる州法を違憲だと訴える訴訟に対するヒアリングが行われ、全米で大きな物議を醸している。

米国において人工妊娠中絶は、1973年の連邦最高裁判例Roe v. Wade及び1992年の連邦最高裁判例Planned Parentfood v. Caseyによって合衆国憲法により保障される権利として、胎児の生存可能性が生じる時期(妊娠24週)までは認められているとされてきた。

ミシシッピ州のケースでは、州法が合衆国憲法に照らして違憲だという訴えが管轄する連邦地裁に起こされ、その結果違憲とされた。すると州は、上位 の連邦第5巡回区控訴裁判所に上告、やはり違憲とされたが、なぜか州はその上位の連邦最高裁に即座に上告せず半年ほどしてから上告した。すると連邦最高裁はなぜか審理を直ぐに開こうとせず、1年半経ってやっと審理を開いたのである。

そして、それに先立ち連邦最高裁が表明した審理目的とは、胎児の生存可能性が生じる時期以前の人工妊娠中絶が違憲にあたるのかどうか、というものであった。9人の判事のうち6人が保守派である現在の連邦最高裁の構成から、明らかに州法が違憲ではないとする方向で審査を進める意向が強いと推定される状況だ。

そしてこの事案に関連して問題となるのが、今年9月にテキサス州の人工妊娠中絶を禁じる州法の運用差止が申し立てられた件だ。連邦最高裁は申し立てを却下する判断を行い、関連の訴えの審理は継続中だが州法の運用は停止されていない状態だ。

これらの連邦最高裁の審理プロセスの動きが意味しているのは 、人工妊娠中絶を禁じる取り決めに対する州の裁量の容認、及び、合衆国憲法が人工妊娠中絶の権利を保証するとした連邦最高裁の判例を覆す方向に傾いている可能性が高いということであろう。

今回の連邦最高裁におけるミシシッピ州の事案のヒアリングでは、その推測を裏付けるかのように、州政府の代理人が、人工妊娠中絶の権利は合衆国憲法では認められおらず、Roe v. Wadeの判例は州の司法に関する自由を著しく歪めた、という州政府としての見解の陳述を行った。

そしてテキサス州のケースでは、州法の規定は6週以降の人工中絶を例外なく禁止する上、法に抵触する疑いがある中絶施術者を積極的に探し出し訴えることを奨励しており、実質的に州内での人工中絶を不可能とするものであり問題は更に根深い。

なぜ50年もの間米国司法において指標とされてきた判例が突然覆されようとしているのか。それは、直接的には連邦が管轄する裁判所の判事の構成が保守派への偏りが近年極端に強くなったことが原因だといえる。連邦最高裁に関していうと、もともと1969年まではリベラル色が強かった。その後、1986年までの間はリベラル色から徐々に保守へ傾く過渡期となり、その後は次第に保守色を強め、2017年からのトランプ政権以降は更に極度に保守化した。

2016年の大統領選挙で当選したトランプ・ペンス陣営は、大統領選挙期間中のキャンペーンにおいて終始強固な反人工妊娠中絶の姿勢を貫き、従来からの共和党の強固な基盤であったエヴァンゲリッシュ教会関係者の熱烈な支持を取り付けることに成功した。陣営は、当選した暁には、連邦最高裁判事に保守的で反人工妊娠中絶の思想を持つ人物を任命することを表明した。

そして、トランプ氏がホワイトハウスに着任した段階で、歴代のどの政権よりも多い空前の108もの連邦判事の欠員が生じていた。このような状態となっていることは、すでに選挙期間中から陣営が間違いなく認識をしていたはずであり、ホワイトハウスを手中にした場合の判事任命に関する方針を事前に検討していたことは容易に想像出来る。

そして、トランプ氏はホワイトハウスに着任するなり、事情に詳しい共和党上院院内総務マコーネル上院議員と欠員となる連邦判事の任命について協議を重ねた。そこでトランプ政権が取った戦略は、任命する判事の候補者選定では保守性を重視するのみならず、戦略的な司法の志向性を持つかどうかを重視した。

 最高裁をはじめとする連邦判事職の特徴は、その任期が終身制であるという点だ。従って、一旦任官すれば次に続くいくつもの政権において在職を続けることが可能であり、長く司法判断に影響を及ぼすことができる。そこでトランプ氏とマコーネル氏は、長期間にわたり司法システムに影響を与えられることを目的に、できるだけ年齢が低い候補者を当てる戦略をとった。

そして連邦判事職のもうひとつの特徴が、大統領が自ら候補者を指名でき上院の承認を得るだけで任官に至るという人事承認プロセスだ。上院での共和党のマジョリティー支配が続いた4年間で、トランプ政権はその状況をフルに利用し次々に上院の承認を通し連邦判事に保守的で戦略的司法を志向する若い判事を送り込んだ。

その最も象徴的な人事が、連邦最高裁の3人の判事の任命だった。いずれもリベラル派の前任者の死去及び退任に伴う人事で、リベラル派が一気に3人減少し、それに入れ替わる形で3人の極度に保守的な若い判事がトランプ政権により送り込まれることになった。そしてこの人事を含めて、トランプ政権4年間の間に、合計226人の連邦判事が任命されるに至った。これは、現在の全連邦判事のうち28%に当たる少なくない数字だ。

そして、今回のミシシッピ州のケースでは連邦巡回区控訴裁判所にもトランプ政権が任命した連邦判事が関わっている。このミシシッピ、テキサス、ルイジアナの3州を管轄する第5巡回区控訴裁判所は17人の連邦判事のうち12人が共和党政権時代に任命された判事であり、そのうち6人がトランプ政権によるもので、いずれも超保守派で30代~50代と若い判事だ。現在この第5巡回区控訴裁判所は、全米で12ある連邦巡回区控訴裁判所のなかでも飛び抜けて極度に保守的といわれている。

テキサス州のケースでも、連邦最高裁判所において州法の運用差止申し立ての却下で積極的に動いたのが、やはりトランプ政権が任命した3名の判事だ。従って、これらのケースを動かしているのは、トランプ政権が任命した保守派連邦判事による連携プレーであると見てよい。ミシシッピー州のケースで第5巡回区控訴裁判所と連邦最高裁の審理の間に異例ともいえる長い時間がとられたのも、こうした連係プレーのためであったことが容易に想像される。

そして、トランプ政権の4年間の間に共和党支持者が多数派を占めるレッド・ステートで起きていたのが、人工妊娠中絶の権利を著しく限定する州法の制定化だ。これらのレッド・ステートでは共和党が知事の座と州議会の多数派を占め、州裁判所判事を始めとする司法システムも共和党関係者が独占している。そして、伝統的なコアな共和党の支持層が属しているのが反人工妊娠中絶の急先鋒であるエヴァンゲリッシュ教会だ。

長年にわたり、エヴァンゲリッシュ教会の反人工妊娠中絶活動は人工妊娠中絶支援団体などへの抗議行動などを通して行われてきたが、リベラル派と保守派のバランスが取れていた時代の司法システムへの直接的なチャレンジには抑制的であったといってよい。それが、トランプ氏が大統領に就任し、連邦判事の欠員を積極的に保守派に入れ替えていく状況となり、司法システムを通した活動へと大きく戦略を変えていった。

そしてその具体的な形として現れたのが、州法により人工妊娠中絶を厳格化させて、合衆国憲法の介入なく州レベルで具体的な禁止の詳細を取り決める方向性を持つ州法の制定であった。このライン上にあるのがミシシッピ州法であり、またテキサス州法だ。

そしてトランプ政権期間中に同様な趣旨の州法が立て続けに20州で立法されることになった。今回のミシシッピ州のケースが引き金となり、仮に連邦最高裁で判例が覆されることになると、これらの州法も自動的に違憲ではないとされることになる。

今回のミシシッピ州法とテキサス州法のケースは、長年のエヴァンゲリッシュ教会の反人工妊娠中絶運動にその基盤があるが、トランプ政権下で大量の保守派連邦判事が送り込まれたことがそれを引き起こしている側面が大きい。従って、極度に保守派に傾いた現在の連邦司法においては、今回のような政治的な目的での司法システムの利用が成立してしまうことになる。

このミシシッピ州のケースに対する最高裁の判断が出るのは来年夏とみられているが、仮に連邦最高裁判例が覆される結果となった場合には、アメリカ社会に極めて大きな影響を与えることが予想される。特に共和党が主導権を握る州において、人工妊娠中絶以外の政治的争点でも共和党が志向する方向で次々と州法が乱発される事態の誘発が避けられない可能性がある。そして逆に民主党が主導を握る州の行政行為あるいは州法を違憲だとして差止を狙う動きも乱発されるであろう。すでに人工妊娠中絶と並ぶ大きな政治的争点の一つである銃の携帯の自由をめぐりこのような動きが出ている。

バイデン政権は、このような状況を見越していたかのように、今年4月の時点で連邦最高裁判事について制度改革を検討する超党派の委員会を設置し、判事の増員や任期制の導入の是非を検討を進めようとしている。しかし、今回のケースで明らかになったのは連邦司法システム全体にわたり問題が生じていることであり、最高裁判事だけの問題ではないということだ。また、連邦以上に党派の偏りが激しい州レベルにおいてどうするのかという各州ごとの問題も存在しており、連邦司法が引き起こす問題が州にどのようなメッセージを与えているのかについても解明が必要であるだろう。

(Text written by Kimihiko Adachi)

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