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結局は私と私が見たあなただけの世界

私は思っているよりもあなたを好いているみたいだ。


月に一度。
心理士の人と話す時間を仕事前に設けて貰っている。


流れで、あるきっかけの話になった。
私は自己分析が好きではなかった。自分に向き合うことは苦手だ。書くことは好きだけど、
疲れが勝って何もしたくなかった。でも最近ちょこちょこと書くこと、自己分析をしている。そんな話になった。



「それはどうしてでしょうね。」と問いかける心理士の方。私が言い淀むのが見えたのか「言える範囲で良いですよ、差し支えなければ」と言葉を足す。

私は恥ずかしながら答えた。
「…………ファンレターを書こうと思ったからです。」事実だからこう言うしかない。
心理士の方に「それは誰にですか?どんな時に?これも言えればで大丈夫です。差し支えない範囲で。」

このトークの中で言ったからどうとか言わないからとかは特にない。
でも、少しだけ、少しだけ、楽しかったあの時のことを聞いてほしくなった。名前は伏せて、あの日の話をした。

心理士の方には「すごく、話し方もですけど、すごく楽しそうにされるので、その人のことをとても好きなんだなと……」言われ気づく。
私は今まで心理士の方と話す時に楽しいことを話したことがない。これは私の精神が前向きになった一歩なのかもしれない。

「ファンレターは自分を見つめるきっかけにもなるのでいいですね。どんな時にとか、どんなところが好きなのかをまとめますから。」と続ける。私は今まで自分には向き合えてなかった。向き合うのがとにかく怖かった。


然しながら、ふと気づかぬうちに自分にと向き合っていた。
そのファンレターを書いてから自分と向き合うことが増えた。
勢いで少しいいペンとノートを買って好きなことを書いたり、自己分析を始めたり。とにかく書くことが楽しいと思えた。あとは訳あって数年変えていなかった普段の下着を買い替えた、ごっそり。その他、諸々点検したらお金が足りなかった。あとは少しずつ変えていこう。




 この話を踏まえてひとつ考えた。
私は推し(便宜上)に泣きついている私が可愛いのではないか。泣きついているという言葉は正しくない気もする。好きだということだけが正解だと思っているのではないか。
このあと2日半ほど体調を崩した。その時はほぼスマホを見ていなかった。だが「〇〇(推しの出ている某ラジオの名前)に会いたい…………」とうなされていた。
結局推し(便宜上)のことは、何がなくても好きということがわかった。なのでこれは違うのではないだろうか。宣材を見て「顔かっこよすぎだろ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」って笑ってしまったし。
宣伝ですが、CUT2月号を頼むからみんな見てほしい。頼む。2回頼んだ。何度でも頼む。かっこいい。あと、WEBの編集日記にも写真載ってます。


そんなこんなで心理士の方とのトークで気づきを得た。毎回気づきはあるが、ここまでははじめてだ。
あなたへの好きということを振り返るのは、私と向き合うということなのだ。そこには私と私から見たあなたしかいない。たまには、あなたへの好きを振り返って、私と向き合おう。あなたへの気持ちとともに私は前を向いて歩いていく。

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