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わたしの流産ストーリー② 〜かけられて救われた言葉〜



2023年夏に流産した話を、前回noteに書いた。


流産したことを伝えた時に、色々な人から色々な言葉をかけてもらった。

この「流産したことを伝える」という行為もかなり心にくるもので、“安定期に入るまで妊娠したことを公表しない”ということの真意を、嫌というほど思い知った。

(多分、次にもし妊娠できたら、本当に近い人以外には、無事に産まれて落ち着くまで言わないと思う。というか、何があるか本当に分からないから怖いし、何かあった時に自分も傷つくから言えないなあ、としみじみ感じた。)

話を戻すと、色々な人から色々な言葉をかけてもらったのだけれど、当時どん底の気持ちの私の心の奥まで届いた言葉は、ほとんどなかったなあ…というのが正直なところだ。

もちろん、どの人も私のことを考えて言葉をかけてくれたし、「流産したんだ」なんて人から言われたら、誰でも「なんて言葉をかけていいか…」と動揺するだろうし、咄嗟に考えるのは本当に難しいことだと思うから、寄り添ってくれたみんなに感謝している気持ちは本当にある。

でも、その時に色々な人からかけられた言葉の多くは、
「今は、自分の体を大切にね」
という言葉だった。

当時の私は、その言葉を聞くたびに感謝しつつも、
「自分の体より、赤ちゃんを大事にしたかったんだけどな…」
という気持ちに押しつぶされていた。


そんな私にとって、救われた言葉をかけてくれたのは、職場の信頼している先輩だった。
ご自身も数年前に奥さんを亡くし、命についてずっと向き合っている方だった。

暗いトーンで伝えると泣いてしまいそうだったから、「実は、この夏に流産しちゃったんですよね」と、意識してできるだけさらっと伝えてみた。

すると、そうだったんだね、と受け止めてくれて、しばらく私の話を聞いてくれた上で、

「大事な出会いだったんだね」

と一言伝えてくれた。

『私自身』じゃなくて、『お腹の中にいた存在』について言葉にして伝えてくれた人は、初めてだった。
驚きつつも、その言葉をもらって、今までにない「分かってもらえた感」に満たされた私がいた。

今回の妊娠は、超初期流産だったから、胎嚢は見えたけれど、赤ちゃんの姿が見えたことはなかった。よく言われる「心拍確認ができず…」とかそういう次元でもないからこそ、私自身も存在を体感できたことはなかった。

だからこそ、流産したと分かって、もちろん信じられないくらいの悲しい気持ちはあったけれど、「命としてそこに存在したのか」という負い目や疑問も、ずっと頭の隅にあったのも事実だ。

(妊娠反応が出ていたということは、受精卵はできたのだろうか…?でも、それが形にはならなかったってこと…?受精卵はあったけど、赤ちゃんの姿はなかった、ということは、“命はあったのか?”という、『どこからが命か』問題にも、何度もぶつかった。)

でも、この先輩の言葉は、「十分に悲しんでいいことだよ」「それくらいの大きな悲しみに値することだよ」と受け止めてくれているようで、本当に心に沁みた。


この先輩の言葉と、あと同じく不妊治療をしている親友に「超初期ではあったけど…」と打ち明けた時にかけてくれた、「お腹の中にいるかも、と思って過ごしてきたんだから、超初期だろうと何だろうと、そりゃ悲しいに決まってんじゃん!」、という言葉に救われる思いだった。


命として私のお腹の中に赤ちゃんがいたかは、どこからを命と呼ぶのかも分からないし、何とも言えない。
でも、私自身がお腹の中にいると思っていた存在に対して「がんばれ」「大きくなってね」と声をかけていたのは事実で、
その事実がある限り、私の人生の中で忘れられない大事な出会いだったことは間違いないし、それは十分に悲しんでいいことなんだ、ということを、この2人の言葉から感じさせてもらった。


また妊活を再開させた今の私にとっては、自分の体を大切にすることの重要性もすごく感じているから、私の体を心配してくれた人たちの思いにも、改めて感謝している。

それも踏まえて、悲しみは人それぞれにあるものだし、悲しみの大きさは人と比べられるものではない、と心から思う。

だからこそ、私の心を救ってくれた先輩や親友のように、悲しみを悲しみのままに受け取ったり、大事な出会いであったと思わせてくれたりする人の存在に救われたし、
私も相手の悲しみに、そんな風に寄り添える人でありたい、と思っている。

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