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私の流産ストーリー①〜このつらさを共有したい〜



2023年夏に、流産した。

私にとって、長い長い夏だった。

「赤ちゃんができたかもしれない」という喜びと興奮は、2週間で大きな不安に変わり、1ヶ月後には今まで経験したことがない大きな悲しみへと変わっていった。

最後まで、赤ちゃんの姿は見えなかった。でも、体は確実に小さな卵を迎えた準備を始めていて、つわりもきていた。
(そのことが、私の悲しみを倍増させた。)

初期流産は10%以上の確率で起こることも、知っていた。
だから、検査薬で陽性が出たときも、「まず第一歩だな」とは感じたけれど、いわゆるぬか喜びをしないように、自分で自分の気持ちを自制していた。

でも、実際に自分がその10%になった時、「どうして私がそっちの10%なんだろう」と思わずにはいられなかった。
(そして、そう思った自分に対して、「どうして自分は大丈夫だと思って、ちゃんと自分ごとにできていなかったんだろう…」と、心底うんざりした。)

もしかしたら今回の妊娠はダメかもしれない、ということが分かり始めてから、数えきれないほど泣いたし、
お医者さんから「今回は、流産です」と言われた日は、今までの人生の中で一番泣いた。
病院からの帰り道、涙が止まらなくて、人目を憚らずに思いっきり泣いた。


あの日から約2ヶ月。
あの時の傷が完全に癒えたなんてどう転んだって言えないし、きっとこの気持ちはずっと自分の中に消えずにあるんだろうな、と思っている。

でも、日常が戻ってきて、次の妊娠に向けて動き始めることになった今、
「あの時の気持ちを、いつか自分は忘れてしまうのではないか」ということが、頭をよぎり始めた。
そう思うと、私にこんなに多くの気持ちと学びを経験させてくれた今回の日々を、思い出せるように残しておくことは、今後の自分に向けて必要なことなんじゃないかと感じている。

そして、今回このことをnoteに公開しようと思ったのには理由がある。
それは、流産した時にすごく辛かったことの理由の一つが、この気持ちを共有できる人がほとんどいなかったことだったからだ。

どんどん目と耳に入ってくる、友達の出産報告。「あの子もうすぐ赤ちゃん産まれるらしいよ」という噂。
「妊娠・出産しました」というお知らせはどんどん流れてくるけれど、「流産しました」というお知らせは一つも流れてこなかった。
(きっと、出産した人の中にも、これまでに流産を経験したことがある人もいるのかもしれないけれど、それを知る術がない限り、私にとってその人は「共感してもらえない人」になってしまった。)

自分が流産して気持ちがどん底に落ちていた時に私が求めていたものは、
「今はあなたの体を大事にね」という心配でも「まだチャンスはあるよ」という慰めでもなく、
「辛いよね、悲しいよね」というこの辛さへの共感だった。

そのため、同じような境遇の人に少しでも共感したい、共感できる時間になれば、という気持ちで、今回noteに自分の経験を書き残しておくことにした。

今後、これまでの気持ちや変化、いま感じていることを私の流産ストーリー②、③…と、書き残していければと思っている。
誰かの共感につながって、その人の気持ちを少しでも和らげることができたなら、この上ない喜びだ。

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