「進化」と「工夫」と「知恵」、その先にあるもの vol.1
●センサー作動の手水舎
●自動販売機でパンを売る老舗パン屋さん
●施設内10か所以上の換気頻度を表示する温泉施設
●ミニアイスコーヒーを無料でつけてくれる定食屋さん
所用あって訪れた群馬県伊勢崎市、わずか6時間程度の滞在中に
体験した今の象徴と、未来の予兆。
変わっていくこと、変わるけど変わらないこと。
私たちの意識と見える現象が、グラデーションのごとくジワジワとグツグツと、重さも質も広がりも変化しているように感じました。
思い至ったことを回を分けて記してみることにします。
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八百万神のお水という意識がもたらす暮らし
うなぎ登りに高騰している光熱費の関係なのか、節水なのか、コロナ対応なのか、はたまた収入減なのか、恐らく理由はいくつかあると推測しますが、いつも流れ出ているのが当たり前だと思っていた手水が、実は神社の好意によるものであることを目の当たりにした、センサー感知の手水。
密を避けるために手水舎そのものを閉鎖している神社はたくさんありますが、それをセンサーでコントロールするという事実は、急に夢の世界から引き戻された、いや、その世界は本当は存在していなかったんだ、くらいのザワツキ感を引き起こしてくれました。
なんでこれほどビックリするのかしらん…?
考えてみるに、単に「時代の進化ですね~」という次元とは少々違う、日常に溶け込んだ所作への認識と文化的な背景があるのかもしれない、と思ったわけです。
手水は我々日本人にとっては神様の領域に立ち入らせていただくために行う日常的な習わし、つまり無意識に行える当たり前の所作です。
そして神社のベースは神道。意識するか否かに関わらず、「神は万物に宿る」、自然神、八百万神(やおろずのかみ)が存在しているのが神社である、と日本人はこれまた空気のように理解しているわけです。
神社の手水は神様の場所から湧き出るお水、つまり手水は神が宿った自然物の一つなので、よもや人間がコントロールするものではなかろう、いや、そもそもコントロールという人為的な次元とは、全く異次元に神社は存在しているものと思いこんでいたのですが、実はそうでもなかった!!!という事実に今回驚愕しているわけなのですね。
あー神様、なんと無慈悲な~(>0<) OhーNOー!!
人為的な動作が介在できない場所、それが神社である、と思いこんでいた節が、恐らく日本人ならあるのでは、と思ったのですが、いかがでしょうか。
そして今回のセンサー手水、ひと昔前にお茶やお水はただ、と思いこんでいたウン十年前と、ちょっとだけ似ているな、などと感じていたりもしております。。。
センサー感知の手水は、はたしてSDGsか?
さて、実は、ある企業のSDGsの取り組みを明文化した内容を見たことがあるのですが、強烈な違和感を感じた一文に遭遇したことがあります。それは、、、、
「お風呂は資源の無駄遣い、なるべくシャワーですませるようにしましょう」と。
ありゃりゃ…(^^; まあ、ご意見色々あると思います。私は余りにも配慮に欠ける一文に感じてびっくりと同時に悲しくなってしまったわけなんですが、同時に全て一律に線引きをする二元論の恐ろしさと危さも同時に感じてしまって、複雑な気持ちになったのでした~💦
ご存じの通り、お風呂文化はお水が豊富な日本ならではという背景があってこそではありますが、家族全員が温まることができるお風呂は逆に合理的で、残り湯の利用なども考えると結果的に節水になったりするわけです。
健康管理の一面も有しているお風呂は、文化と実用の側面から検証しないと誤解と混乱を生むことにもなりかねません。
「変化」と「本質」を見極める
「ご時世だから」と片付けたくはない気持ちがあります。成り立ちには必ず理由があり、その延長線上に暮らしがあるからです。
悪しき風習は改めるべきですし、当事者の決定は尊重したい。線引が難しい風習もあることでしょう。
そんなことを思いながら、今回の手水のセンサーコントロールに対しての驚きの感情を掘り下げた結果、出てきたのは「日本人の自然に対する感受性の細やかさへの再認識」。
ジンワリ~、あぁ日本人て!その感性を素直に嬉しいと思います~(^^/
現象は変わっていくのでしょうが、自然物への感謝は大切にしたいです。変わるものと変わらないものを間違えないようにしないと、思い至った次第です。
樹木、草木、花、風、土、、、、自然物への畏敬の念と豊かな感受性を持つ日本人が幸せになる一つの答えは、意外と身近に存在しているのかもしれません。
進化しても見失わないように。心が穏やかになることを選択していきたいものですね。
長文お付き合いくださいましてありがとうございました!
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