見出し画像

手帳が続かない私の旅

一年のはじめにやることリストなんかを作って、手帳を可愛く素敵に管理するのに憧れている。
だけど先の予定を立てるのが苦手だ。
この前、多忙な人たち何人かと、半年先の予定を決めなければならないことがあったーーそれも、この日だけ!という予定ではなく、この月の間に何回、何時から何時までこれをしましょうという類の。
半年先なんて誰も予定がないからスムーズに決まったのだけど、決まった日程を見た時なんだかとても憂鬱な気持ちになった(何がそんなに苦しいのか分からず、泣き出したいほどだった)。

継続した、期間の予定だったからかもしれない。その時期になったときに、自分がどんな気分か分からないじゃん、と思うのだ。

半年先のライブの予定に対してこんな気持ちにはならない。その日1日だけのために身も心も準備するのは、言わばお祭りのようなことなので、一年に何度かは、そんな日もあるといいと思う。

例えば、一年の初めにやりたいことを100個書き出してみたとして、そのリストの通りに全部ことを進めなきゃいけないとは思わない。とりあえず言ってみたら分かることもたくさんあるんだろうと思う。
なのにどうして気が進まないんだろう。それをやっている自分を想像すると、なんとなく理由が見える。
おそらく私は性格上、しぶとく真面目にリストのことを覚えていて、何をするにも「これはやりたいことだっけ?」と考えてしまう。
今やろうとしていることは、やりたいことリストのアレを達成するのに必要か、障害になりはしないか。そうやって、自分の可能性のために書いたリストのせいで、書いてしまったこと以外の可能性を、見つける余地を失ってしまう。
自分がそういう性格だと知っているので、目に見えるリストや、長期的な計画表を持つのが怖いのだ。

今年、私は一月に出会った人との会話の中で、酒に酔ってしたひょんな発言から、個人で小さな活動を始めることになり、ワクワクと準備していたら4月にはもう始動していた。
時期的にもちょうど、冬から春になっていくあの時期の、種から芽が出るのを早送りで見るようなアグレッシブな自分を、正月の私には想定できなかっただろう。その数ヶ月の結果、始めた活動は思いもしなかった良い方向に流れ、すでに私はごく自然に、半年前の自分が想像もできなかった場所にいる。

目の前にやって来た素敵なことや面白いことを、その時の自分の身体の状態と、心の状態で、感じて、つかまえて、流れていく。
そうやって得たものがたくさんあるから、杭を打たれることが嫌なのだと思う。

事前に長期的な計画を立てる人は、そうやって素敵な何かを捕まえるための準備をしているんだろう。地図の中で目的地に丸をつけて、航路を検討しておく。安心して先に進める。周りから無理だと言われるような場所にも、一歩ずつ近づける。そうせざるをえない、というような気持ちで海に出た人もいるだろう。私にはやれてこなかったことなので、尊敬する。

私にとって大切なのは、素敵なことや面白そうなことを、見つけて、感じて、いいね!と飛び込める状態の自分でいることだ。それが私にとっての、準備なのだと思う。
航海の例えでいうと、船を頑丈にする、みたいなこととは違くて、そもそも目的地に無事に辿り着くことを目的とした旅ではないということ。

どちらも、素敵な何かを見つけるための、なりたい自分になるための行為であることには変わりないと思う。
だから、もしあなたの周りに私のような人がいたら、その人を、自分を、無計画に、その場の勢いで生きているちゃらんぽらんな人間だと決めつけず、一度よく見てみてほしい。
それで他人を傷つけているようなら、一度地図を広げた方がいいのかもしれない(傷つけるというのは、他人と意見を合わせられなくて困らせる、とかいうことではなく、他人のお金を食い潰すとか、大切な約束を破るとかそういうレベルのこと)。
たけどそうじゃないなら、その人はそういう旅をして生きている人なのだ、と思ってみてほしい。

学生の頃から、計画を立てようとしては挫折してきた。だけど年々なんとか少しずつ、なりたい自分になれていっている気がする。大丈夫だよ。
それはそうと、素敵な手帳を作れる人は羨ましいんだけどね。
実は日記も苦手なんだけど、それは別の話で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?