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心の病気を持った恋人からモラハラを受けてそこから立ち直るまでの話

2019年6月から半年間、心の病気を持った恋人からモラハラを受けていた。
この記事は、どうしてそうなり、その最中で私がどうなっていき、その後の私がどうなったかの記録です。

どうしてそうなったのか

一回り年上の彼は、同じ職場の別の部署にいた。
身体が大きく、お酒が好きで、だけど控えめで穏やかに笑う、自分をしっかり持っている人、という印象だった。

一度深く話をした。
そこから相手が(今思えば)ものすごいスピードで接近してきて、私はコロッと彼に恋をした。

当時の私は、仕事は好きなはずだけれど、深い専門知識もなく、将来の展望もないことがコンプレックスだった。
彼は仕事に対して知識と経験と愛情があり、夢があった。
そんな彼が私を愛してくれることは、ものすごく私を肯定した。彼とお付き合いをしているというだけで、彼の夢を応援しているというだけで、私のコンプレックスのすべてが埋まった。
・・・ということも、今振り返ってやっと分かる。
その時の私は、素敵な人との素敵な将来を描いていた。

お付き合いをする前に彼は、お付き合いをする前に、「自分は心に病気があって、長く治療している」ということを私に打ち明けた。
正直それは、私の恋を盛り上げるのにもってこいだった。

「そういう男いるよねーなんで引っかかっちゃうかな」
みたいなご意見は重々承知だ。「ダメ男に引っかかる女」みたいな議論をしたい記事ではないので、とりあえず事実として頭に入れ、読み進めていただけると嬉しい。こちらも事実だけを書くように努めます。

私はその”よくあるパターン”に自分がはまっていることに薄々気づいていきながらも、自分だけは逆転勝利ができると信じていた。


その最中どうなっていったのか

彼との交際は職場から良く思われていなかった。今思えば私の会社は私を必死で守ろうとしてくれていたのだと分かるが、私にとってはそれも燃料にしかならなかった。

彼のことも会社のことも好きだった。仕事も彼とのことも、一生懸命誠実に向き合っていけば、いつか全部が良い方向に行くと信じていた。
そう信じることが、彼にとっての私の役割だと思っていた。浮き沈みする彼の隣で私が自分の気持ちを保つためにも、それはとても必要なことだった。

彼はその日によってモードがあって、私の体型のこと、容姿のことを一晩中指摘される日があった。
幸運にも私は両親から「かわいいかわいい」と育てられ、友人にも恵まれ、自分の容姿に対する自己肯定感は高かったので、それで「自分はブスだ」と思うことはなかったが、恋をした人の多くがそうあるように、彼が望むなら望むものになりたいと思った。
前述したとおり、彼は私のコンプレックスを全て埋めてくれる存在で、その人に認められる自分でありたかったのだ。

私は食べるのが大好きで、よく食べるのが自慢だ。それでも身体を動かす仕事なのもあり、太っている方ではない。彼とお付き合いして、生まれて初めて痩せるために食べる量を減らした。
食べるのを我慢しなくてはいけないことよりも、私自信が自分を「太っている」と思っていないのに、執拗にそうだと言われ、好きなことを制限することは、とんでもないストレスだっただろうなと今思い返すと思う。

そんなストレスは跳ね返せるくらい、未来の逆転を信じていた。
いや、ちがう。
私は『二人の未来のためなら苦労は厭わなかった』というよりも、
『こんな健気に苦労したのだから報われるはずだ』と信じていたのだと思う。
このとき『健気に苦労している』のは私だけではない。
私は彼にも報われてほしかった。
世の中、優しくて一生懸命な人ほど、心に傷を負っていく。そういう人を彼以外にも見たことがあった。
報われてほしかった。

繰り返し言うが、私はこの記事で、自分の身に起きた事実を私の視点から整理し、記録し、そのまま伝えたい。
被害報告をして憐れまれたいわけでも、この恋愛を肯定してほしいわけでも、同じ立場の人に忠告をしたいわけでもない。
ただ、こんな人がいたという事実が、ここで語られたことの一部が、誰かにとって何かになればいいと思う。

続けます。


その後どうなったのか

6月からお付き合いをはじめて12月に別れた。ちょうど半年。

彼と一緒にいる自分が、毎日わけもなく泣きながら、事実なのか判然としないことを訴えているのを客観的に見て、これは離れないとまずいと思った。

交際中、自分のしたすべてのことは自分がやりたいからやっている。自己犠牲をして、自分を粗末にして、その結果彼を責めるようなことはしないようにと言い聞かせてきたつもりだった。
けれど実は身も心もボロボロだったことに立ち止まって初めて気がついた。

自己肯定感はズタズタになって、痩せていて、体臭がして、おおよそストレスが原因で体に現れることがすべて出ていた。周囲の人にそれを話したら、みんながそれを知っていた。
彼にかけた時間の間、連絡をすることができなくなった家族も友人も、私を心底心配していた。彼とお付き合いしていることを、私は職場の責任者と二人の友人以外誰にも話していなかった。
働けていたし、笑えていたし、食べられたし、眠れた。だから自分は大丈夫だと思っていた。

男性のことが怖くなった。
交際前からずっと男性アイドルの推しがいた。
嫌いになることはなかったし、むしろ交際中も交際後も私の精神を支えてくれたけれど、しばらく、アイドルがファンを恋人のように扱うコンテンツが怖くなった。

自分が彼を傷つけたということが怖かった。
私は泣きわめくばかりで、「結局何も為せなかった」とか、傲慢なことを思っていた。

少しずつ回復していったと思っていたけれど、次の年の夏に不眠になった。
今思えば私は、とにかく身体が疲れていたのだと思う。


それに対してどうしていったか

襲い掛かる感情の何もかもが初めての経験だった。
これを「失敗談」として笑い話にするのは簡単だ。
だけど私は、この感情に名前を付けず、放置することに決めた。
彼を尊敬する気持ち、憎む気持ち、罪悪感、恥ずかしさ、悔しさ、悲しみ。
複雑な感情は、そのままの形で持っていた方が、後で上手に思い出すことができる、と何かの本で読んだ。
ジャッジするのは、もっと未来でいい。

職場の、唯一状況を少しだけ伝えていた上司に、プライベートな場で「彼とのことはどうだったのか」と尋ねられたことがある。
答えようとするだけで涙が出た。
「今の私にはどうだったのかを話すことはできません」と正直に答えた。
それだけ辛い記憶なのだろうと思われたと思う。
そうじゃない。
話せば楽になることだけではないことを知った。

もっと未来に、私の人生の大切な半年間が、黒く塗りつぶされるだけにならないように、糧にして、生きていく。
もらったものは確かにあった。
寝て起きて食事をして笑って泣いて。
生きること、暮らすことの大切さは、彼の隣で身に染みて感じていた。
日常を重ねることでしか、前に進めないのだと知った。

前述したが、私は両親から愛情を受けて育った。
それに生かされているのだということを、身をもって知った。両親の愛情は、杭のように私をこの世界につなぎとめた。
愛情を受けたことは私の幸運だが、それを自覚できたことは、私がこれまでの人生で得てきた力だ。
そんなふうに誰かを愛せるだろうか。
彼に尽くして、つくづく思った。
私は自分のものを守ることに必死で、誰かの手を取りたいとき、体力も、余裕も足りない。渡せる手札があまりに少ない。
私はどんな人になりたいんだろう。

私と別れてすぐに、彼は仕事を辞め、遠い故郷に帰った。
その冬に、新型コロナウイルスが流行した。
私も4月に自宅待機を命じられた。
私はひたすらゆっくり休んだ。
(その時のことを、前回の記事で少しだけ書いています)
この、一人の休息が、確かに糧になっている。
身体が休まった。
頭も冷えた。
身の程を思い知った。

私のされたことも、したことも消えない。
私は私を生きるしかない。
この糧を食いつぶさないように。
一日一日、寝て起きて、食べて寝て、笑って泣いて生きていく。

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