瀬川源『国家と記録ー政府はなぜ公文書を隠すのか?』

 これも年末に買ってあったもので、2021年1月9日に読み始めて19日に読了。

 文書の内容を信用できないとなれば、その行政機関の決定は全てが信頼できなくなる。だからこそ、文書は確実に記録されなければならないし、保持、保存されなければならない。そして、情報を公開することによって政府の透明性を確保することが政府への信頼につながる。・・・と、筆者は指摘する。そうやってこそ、政府が何かを呼び掛けた時に、我慢してでも応じようという気になれるのでは、と思うのだ。国民の投票で選ばれ、国民から税を集めて政治を行う立場としては、国民に対して説明責任を負っている。透明性の確保、説明責任を果たすこと、そして後世の人たちが検証できるようにすること。

 なぜ隠すのか、という問いと共に心得ておかなければならないのは、情報をどう使いこなすか、だと。どの情報が公開されているかを把握していなければ、同じ情報について情報公開請求をかけて余計な手間は費用をかけてしまうことになる。出しているのを知らないのが悪い、となってしまう。

 明日、アメリカでは新しい大統領と副大統領の就任式が行われる。アメリカの情報公開、日本のはるか先を行っている。民主主義国家において、公文書は国民の財産であって、恣意的に改竄、廃棄してしまっていいものではないという徹底した文書保存については、大いに見習うべき姿勢だと私は思っている。

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