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ロサンジェルスで看護婦をしたい!

人にはそれぞれ旬と申しますか
良い時期があるのでしょう。

串本病院で働いていた頃

自分でいうのも変ですが・・・
私はとてもモテました。

これまでの写真でご覧の通り
決して美しい顔立ちでないことは自分が一番知っておりますが

何故か?
私は確かに
モテていたのです。

色んな人とお付き合いのような感じにもなり
たくさん遊びましたが
結婚しようとは思いませんでした。

「結婚と恋愛は別のもの」というのが
私の持論でした。

常に貧しく、言い争いの絶えない
父と母の生活を見て育った私は
「結婚というのは苦しく厳しいもの」
としか思えなかったのだと思います。

そこへ舞い込んだこの結婚話。

相手はとても良い方で
「結婚してもこちらで看護婦を続けていいと言ってくれてる」
とも言われました。

私は細かなことはさておき
「ロサンジェルスで看護婦してみたい!」
と咄嗟に思ったのです。

相手の顔も知らないまま
二つ返事で結婚を決めました。

母はこの和歌山の田舎の村から
一度も出たことがなかった人でしたので
この結婚に大反対で
「外国に行くなら親子の縁を切る!」と言いました。

父は、どうだったのか?全く覚えがないです。

でも、そんなことに耳を傾ける私ではありませんでした。

そして忘れもしない東京オリンピックの年
お相手の顔も見ないまま、結納が入りました。

そして楽しかった串本病院を退職しました。

結納金で
新しく嫁入り道具も揃え、着物も新調し
あとはロサンジェルスに行くのみ!

・・・となってから

何故だか、この話が全く進まなくなってしまったのです。

  つづく
   
     キミちゃんより

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