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「貧乏ゆすりと言わないで」20.手術後→IPG埋込術までの期間

手術後にストレッチャーの上で吐いた

(手術後の頭部の画像がありましたが、創作大賞応募のため無料記事になりました。そのため一部、写真を削除しています。)


吐しゃ物にまみれ、
点滴と心電図と深部静脈血栓症の予防用で
ポンプ式マッサージ器につながれて動けず
眠れない夜を過ごし朝が来た


色々なものにつながれています

意識があって色々な物につながれていることが
これほど煩わしいものかとまんじりとしていたが、
薬を飲んでいない上に電気の調整もまだしていないので
右手右足が振るえ続け
自分の身体が傾くし傾いたら起き上がれない
不安が募る
 

【写真】

 朝一番で体調を確認に来た看護師から
「吐き気はありませんか?
「はい。」
「念のため吐き気止めの点滴をはじめますね。
痛みはありますか?」
「傷が痛いのか、中が痛いのかわかりません。
でも、痛いです。」
「それでは痛み止めのお薬を出しておきますね。
夜は眠れましたか?」
「振るえがひどくて眠れませんでした。」
「レプリントン(パーキンソン病の薬)は
飲み始めても良いので、振るえが止まっても
眠れないようでしたら睡眠薬を出しますね。」 
と説明があった。  
その日の薬の記録を見ると
手術前と何ら変わっていない薬の量に愕然とした

【写真】

その次の日もお水を買いに行こうと
廊下を歩いていたら途中で吐いてしまった

(麻酔が残っているのかな)
あまり吐くことがない喜美は
追い打ちをかけられた気持ちになった
        

【写真】


見なきゃいいのに
インターネットで病院の評判の口コミを読んで落ち込んだり
自分で決めたことなのに
自分だけが何で?と思って哀しくなったり。

しかも、IPG埋込み手術の翌日が
喜美の誕生日なのだが
誰も祝ってくれないだろうと悲しくなったり。
精神的に不安定になっていくのが自分でもわかった。

妬み、嫉みの黒い塊が心の中に浮き上がり
自分でもどうすることができなかった

それどころかその黒い塊は退院するまで消えることなく
心の中を支配し続けていた。
この「黒い塊」を「ピンクのハート」に
置き換えることができたらどんなにいいだろうともがいていた。


頭部の画像が投稿されています。閲覧ご注意ください。

↓↓

【写真】

もがき苦しい日が続いたが

唯一、救われる時間が「リハビリ」タイムだった

リハビリは次の日から始まった
約一時間、脚と手を別々にリハビリするのだが
体を動かすことで気持ちが晴れることと
理学療法士や作業療法士がとにかく明るい

医師や看護師とはまた別の観点で見てくれるし
病気のことだけじゃなく
趣味のことや
推しメンのことなど日常的な会話もしてくれるので
「普通」が単純に嬉しかった

入院中、もう一つの喜美の楽しみは食事だった

一日当たりの栄養量は1800Kcal とされていて
朝の主食はパン、牛乳はヨーグルトへ変更してもらい毎回完食!
病院だけど味も付けも悪くないし
何しろ上げ膳据え膳が主婦にはとってはありがたい


ある日の昼食!鮭のムニエル♡美味しかった!



入浴は手術後一日たってからシャワーを浴びた。
翌日からOKがでていたのだが、
傷もあるし薬が思うように効かず、
上手く動けない身体で転倒したら大変と
不安を感じていたから一日延ばした


まだ刺激発生装置(IPG)を体内に入れていないので
電極の調整ができていないのは当たり前なのだが
もしかしたら動けるのかもと期待していたから
その期待通りにならないことに
焦りと不安がつのった。
  
瞼におできのようなものが出来て「眼科」で診断を受けた
手術とは関係なく、原因がわからず
たぶん「ものもらい」でしょうをいうことで
目薬と軟膏をもらっておわり。

こちらは退院後に治ったが
そこから度々目の周りや
皮膚の弱さが目立つようになった

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