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金魚救い ① 



 4限の授業が終わり、笹塚に向かう京王線の電車に揺られている中で、二階堂燈にかいどう あかり逡巡しゅんじゅんしていた。幸いにも祝日ということもあり、普段の車内の様相ようそうとは違い空いていたので、角の席に腰を下ろし、考え込む。

 何故私が通っている大学は祝日に授業があるのだろうかという問いに駆られるが、大学設置基準なるものがあるらしく、2学期制を採っている大学であれば、定期試験期間を除いた授業時間を15週確保する必要があるらしい。


その大学設置基準とやらに見直しを要求したくなるが、大学側も授業時間を確保する為の苦肉の策として、祝日に授業を設置しなければならないのだということに自分の中で結論付け、問いを終わらせた。


 今私が喫緊きっきんの問題として考えなければならないのは、大学設置基準などではないのだ。4限の社会学の授業の中で、フィールドワークを各々で行い、それをパワーポイントでまとめ、発表を行うという課題が出されたのだ。
 

 フィールドワークとは調査対象を決め、現地に直接赴き、当事者や関係者に聞き取り調査を行うという調査技法である。
大学に入学して半年以上経ったとはいえ、学内の友人でさえ数えられるほどしかいない自分に1人でフィールドワークというものができるのだろうか。
 


  教授が言い渡したテーマは、「あなたたちが思う社会問題」という非常に広いテーマで、テーマ自体はまだ1年生ということもあり、限定的なものではなかったことがまだ救いであった。
 

  限定的ではないと一重ひとえにいっても、フィールドワークに適している社会問題は何があるだろうか。おもむろにスマートフォンをポケットから取り出し、「日本  社会問題」と検索を行う。


  少子高齢化・人口減少・一極集中・長時間労働・貧困問題・ジェンダー格差等、様々な諸問題が検索に浮かび上がってきた。身近に感じるものもあれば、そうでないものもある。

 この中でどれがフィールドワークに適しているか眺めていると、
「次は終点新宿です。2番線に到着致します。折り返し京王ライナー橋本行となります。右側の扉は開きませんのでご注意下さい。」 というアナウンスが耳に入ってきた。
「やってしまった」と瞬間的に思ったがもう時は戻せない。


 左側の扉が開き、立ち上がり電車を降りる。
歩きながらスマートフォンを取り出し、乗換アプリを起動する。
新宿から笹塚へは京王線八王子行の特急が18時15分発で3番線に向かえばいいということを私のスマートフォンが示している。階段を上り下りし3番線にたどり着く。
 

 新宿駅発ということもあり、席はかなり空いており、座ってしまおうかという誘惑に駆られたが、再度乗り過ごしてしまったら目も当てられないと思い、立って過ごすことを決意した。
 降車駅を映し出しているモニターを注視していた甲斐もあり、目的の笹塚駅で降車した。


 一人暮らしをしているアパートは駅から8分程のところにあるが、最寄りのスーパーに寄って帰路に着いたので、部屋の中の時計は7を指していた。
 

 買ってきた食材を素早く冷蔵庫にしまい、靴下も脱がずにベッドに横になる。発表まではまだ一月ほどあるが、発表のテーマ決め、フィールドワーク、PowerPointの作成、発表用の原稿作成と練習等やれなければならないことが山積みである。
 

 準備を完璧に行ったとしても不安に駆られるが、その準備さえもおろそかにしてしまえば、アドリブで何かをできる性分ではないので、何も話せなくってしまう。だからこそ、テーマ決めを性急せいきゅうに行わなければならない。


 教授の言葉を思い返してみると、単なる社会問題について扱うのではなく、「あなたたちが思う」という部分に引っかかった。言葉の真意しんいとしては、大学一年生としての目線で身近な諸問題を社会問題に繋げて考えてみなさいということなのだろうか。


 そのように捉えると教授からの挑戦状のように感じてきた。発表という私にとっては、気落ちしてしまうイベントが、さながらモリアーティ教授からの挑戦状で、私はホームズのような気がして気持ちが軽くなっていくのを感じ、足を天井に向けて伸ばしその反動でベッドから立ち上がり、台所に向かった。

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