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他人の不幸は蜜の味

生きていく中で「他者」の存在は非常に重要なものである。私たちは決して一人で生きていくことはできず、いつどんな時も「他者」と関係を持ちながら生きている。「他者」がいるからこそ、人間は人間として存在ならしめられるのだ。

そんな生きていく中で不可欠な存在である「他者」と良好な関係を築くことが、私たちが人生を豊かにする手段の一つである。しかし、それとは裏腹に私たちは「他者」の幸せを妬み、不幸を喜ぶ。

例えば、友達が難関大学に合格したことを妬んだり、同僚が自分より収入が高いことを妬んだりする。また、逆に友達が受験に失敗したり、同僚が仕事でミスしたりすることを喜ぶ。これは誰でも一度は経験したことがあるはずだ。

こんな実験を聞いたことがある。「あなたの目の前にいる人に今から100万円を渡すが、あなたは10円を払うことでそれを阻止することができる。あなたはどうしますか?」結果としては多くの人が10円を払って阻止したようだ。

この実験の面白いところは、他者の幸福を妨害をするのに自分が損をすることを厭わない人が多いということだ。確かに、阻止したから自分がもらえるというわけでもないので、合理的に考えれば、阻止することには何のメリットもない。

なぜ、こんなにも人は他者の幸福を喜ぶことができないのだろうか。私は、全員がそういうわけではなく、このようによく他者の幸福に嫌悪感を持つ人には、ある共通点があると思っている。それは、「自己肯定感の低さ」である。なぜそう思ったのかというと、個人的な考えだが、自己肯定感の低い人は自分に自信がなく、自分の成し遂げたことで自己評価をすることができない。その代わりに他者を使って、自分の価値を評価している。そのため、他者が成功すれば自分の中での自身に対する評価が相対的に下がり、他者に対して嫌悪感を抱くのだ。そして、またその逆も然り。すべての人がそうとは言わないが、多くの人に共通する特徴だと考えている。

しかし、そのような生き方は非常に息苦しく、無意味である。なぜなら、他者が成功しようが失敗しようが、周囲からの私の評価は変わらないからだ。それどころか、周囲の人からの信頼を失う可能性もある。よく考えてほしい、自分の同僚に他者の成功を妬み、失敗を喜ぶ人と、成功した時も失敗した時も自分のことのように共感してくれる人がいたらどうだろう。どちらの方が印象が良いだろうか。結果は明白である。ほとんどの人が後者と答えるだろう。

このように、他者に対して嫌悪感を持ちながら生きている人は、何のメリットもない自分で自分の首を絞めるような生き方をしているのだ。知らず知らずのうちに周りに敵を作り、気付いた時には周りから人がいなくなっている。そんなことも起こりうるだろう。なので、早急にその生き方を考え直さなければならない。しかし、これは性格的な問題もあり、なかなか治すことは難しいだろう。そこで私なりの解決方法をお教えしよう。

~自分の強みを知る~

先述したように、そういった他者に対して否定的な生き方は、自分の自己肯定感の低さが原因である。そのため、その生き方を変えるには自分の自己肯定感を高める必要がある。そのうえで重要なのは、自分の強みを知ることだ。人はそれぞれ性格や考え方が異なる。それは強みも同じである。私は何の強みもない人間などこの世には存在しないと思っている。しかし、多くの人は自分の強みに気付かず、自分には価値がないと勝手に決めつけている。例えば、周りの目ばかり気にしてしまう自分が嫌いという人がいるとしよう。その人は自分のその性格を短所ととらえているがそれは間違いだ。私からするとその人は、周りに配慮して行動出来る、協調性のある人間だと考えられる。このように短所は長所の裏返しでもあるのだ。自分の短所ならすぐ答えられるという人は、このように発想を転換させてみてほしい。そうすればきっと今まで知らなかったあなたの長所が見つかるはずだ。

いかがだっただろうか、おそらくほとんどの人が一度は他者の不幸を喜んだことがあるだろう。しかし、何度も言うがそれを続けていては絶対に幸せになることはできないと私は考えている。他者の幸せを共感できなければ自分も幸せになることはできないのだ。なので、これを読んで少しでも多くの人が他者の幸せを喜んでくれると幸いである。そして、いつか私と幸せを共有できる日が来ることを願っている。

それではまた、

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