見出し画像

マサカリかついで1千本

 オールスターまで2週間弱。与那嶺監督はヤクルト、大洋、巨人とつづく残り9試合を「うまくいけんけれども、2勝1敗のペースでいけたら言うことない」とソロバンを弾いた。その通りにいけばちょうど貯金「10」。後半戦に向けて弾みを付けるのにキリのいい数字である。

 この日から対戦のヤクルトは、対巨人5年ぶりの3連勝と勢いづいて名古屋に乗り込んでくる。最下位に甘んじているとはいえ、侮れない相手だ。とりわけ中日は巨人、阪神戦に全力を尽くすあまり、その後の下位球団との対戦で取りこぼすケースが過去にも多くあった。まさに昨年はそのせいで優勝を逃したといっても過言ではない。

 “ヤマ場” の阪神戦に勝ったあとだからこそ、あらためて兜の緒を締め直さねばならない。

*   *   *

 必勝を期す中日は好調の三沢をカード初戦に指名。初回を危なげなく三人でピシャリと抑えると、その裏さっそく打線が火を吹いた。

 谷木が歩き井上三ゴロを益川がエラー、マーチン四球で1死満塁。ここで打席には1千安打の記念碑まで残り1本とした木俣が登場した。去る7日、30歳の誕生日を迎えたばかりの木俣は、現在打率ランキングのトップをひた走っている。

 満塁チャンスで華々しく決めれば絵になるというものだが、ここは気負いすぎが祟ってライトフライに倒れる。しかし谷沢が押し出し四球を選び、さらに大島の右前2点打で中日が幸先よく3点を先取。数年来の課題だった打線がここ最近は本当によく当たっている。

 援護があれば投手ものびのび投げられるようで、三沢はシュートを駆使しながらヤクルト打線を翻弄。やや制球に苦しみつつもピンチらしいピンチを作らず、いかにも三沢らしい打たせて取る投球で凡打の山を築いた。渋谷、稲葉がピリッとしない現状において三沢は松本、星野仙に次ぐナンバースリーの地位を確保したと言ってもいい。主戦投手の一人として後半戦は今以上のフル回転を求められることになりそうだ。

 注目の木俣の第二打席は早くも2回にやってきた。2死後、打線がつながり4番マーチンが2点二塁打。意気消沈した渡辺孝の初球を木俣は狙いすましたかのように振り抜くと、打球は大きな弧を描いてレフトスタンド中段へ。史上87人目の1千安打をみごとに本塁打で決めた。

 初ヒットは39年6月6日、大洋戦で稲川誠から打った二塁打だった。足かけ11年、不動の正捕手としてチームを牽引する一方、試行錯誤を繰り返しながらバッティングを追求しつづけた。“マサカリ打法” は独自の研究の末にたどり着いたフォームだ。

「王さんは足と腰を一緒に上げる。しかし、それでは僕には合わない。だから足を上げると同時にバットの握りはヘソまで下ろす。それで不思議にタイミングが合うんだ」

 さらに今年は食事制限など摂生に努め、三十路にして心身ともに自己最高といえるシーズンを過ごしている。周囲は当然、首位打者の獲得を期待するが……。

「とんでもない。前半戦だけの運命ですよ。もう阪神戦あたりから下降線だしね」。このさばさばした性格も、強欲だらけの球界において木俣の大きな魅力といえる。

 昨年はプロ入り初めてシーズン通して深刻なスランプに直面した。間近で見てきた井上コーチは、昨年との違いについて「積極性、今年の木俣はこれですよ」と熱っぽく語る。「昨年までは初球の好球をなんとなしに見送ることが多かった。ところが今年は最初から向かっていく。今日のホームランもそうだ」。

 決して万事順調のプロ生活ではなかった。「よくここまでやってこれた」ーー試合後の記者会見でしみじみと漏らしたこの言葉に、刻んだ年輪の深みが滲み出ていた。

中7ー1ヤ
(1974.7.9)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?